主の力が私に臨み、私は御霊によって、干からびた骨が至る所に散らばっている谷間に連れて行かれました。主は私を引っ張って行き、あちらこちらを行き巡らせてから、 3 こう語りました。「人の子よ。これらの骨は、また元のように生きた人間になれるだろうか。」私は、「主よ。その答えは、あなただけがご存じです」と答えました。 4 すると主は、これらの骨に向かって語るように私に言いました。「ああ、干からびた骨よ、神のことばを聞け。 5 神である主がこう語るからだ。見よ。わたしはおまえたちを生かし、息を吹き返させる。 6 元のように肉をつけ、筋を与え、皮膚で覆う。わたしが息を吹き入れると、おまえたちは生き返る。その時、おまえたちはわたしが主であることを知る。」
7 私は、言われたとおり神のことばを告げました。すると突然、谷間のあちらこちらから、がさがさという音がして骨が集まり、それぞれが元のようにつながり始めたではありませんか。 8 さらに見ていると、骨の上に筋肉がつき、その上を皮膚が覆ったのです。しかし、その体にはまだ息が入っていませんでした。
9 そこで、主は私に、息に呼びかけて次のように語れ、と命じました。「神である主が言う。さあ、息よ、四方から風のように吹いて来い。この殺された者たちの体に吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」 10 私はそのとおりに命じました。すると、それらの体は息を吹き返し、起き上がったのです。それは、ものすごい大集団となりました。
11 その時主は私に、この幻が告げようとしている意味を教えてくれました。「これらの骨は、イスラエルの民全体を表している。彼らは、『われわれは干からびた骨の山になってしまった。もう何の望みもない』と嘆いている。」 12 神である主はこう語ります。「そんな彼らに告げよ。わたしの民よ。わたしは捕囚という墓を開いて、あなたがたを生き返らせ、イスラエルの地に連れ戻す。 13 その時、わたしの民よ。あなたがたはやっと、わたしが主であることを知るのだ。 14 わたしの霊を注ぎ入れると、あなたがたは生き返り、懐かしい祖国に帰ることができる。その時、あなたがたはわたしが約束を果たしたことを知る。」
15 ついで、次のような主のことばがありました。 16 「一本の杖を取り、それに『この杖はユダとその味方の諸部族を表す』と刻みなさい。それから、もう一本の杖を取り、『この杖はイスラエルの残りの全部族を表す』と刻みなさい。 17 さあ、その二本の杖を片手でつかんで一本の杖とするのだ。 18-20 それを高く掲げて、みなに見せながら言いなさい。神である主はこう語る、と。わたしはイスラエルの諸部族をユダといっしょにし、わたしの手の中で一本の杖とする。」 21 主はこう語ります。「わたしはイスラエルの民を国々から集め、世界中から連れ出して祖国に帰らせる。 22 そして、彼らを一つの国民にする。一人の王が立てられ、二度と二つの国に分かれることはない。 23 人々はもう偶像礼拝やそのほかの罪で身を汚さない。わたしが、この罪の忌まわしさすべてから、彼らを救い出すからだ。こうして、彼らは真実にわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
24 わたしのしもべダビデ(メシヤ)が彼らの王となり、ただ一人の羊飼いとなる。彼らはわたしのおきてを守り、わたしが望むとおりの生活をする。 25 彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた地、彼らの先祖が住んでいたイスラエルの地に住むようになる。彼らだけでなく、子々孫々に至るまで、そこに住むようになる。そして、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの王となる。 26 わたしは彼らと、平和の契約を結ぶ。それは永遠に変わらない契約だ。わたしは彼らを祝福し、その数を増やし、わたしの神殿を彼らのうちにいつまでも置こう。 27 彼らのうちにわたしの住まいを設ける。そう、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 28 わたしの神殿が変わることなく彼らのうちにとどまっているのを見て、国々は、主であるわたしがイスラエルを選んで、これを祝福していることを知る。」
ソロモン時代は華々しいイスラエルの歴史ですが、晩年のソロモンが偶像礼拝に走った罪を原因としてイスラエル王国は分裂しました。
私は、そもそもイスラエルの民衆が国王を望んでサウルが与えられてところから、さらに深い根の問題は始まっていたようにも感じていますが、そこでダビデが登場させたこと、ソロモン時代に移ってイスラエルにおける栄華の歴史が作られたこと、それから直線的に霊的衰退に向かったことは、避けることが出来ない過程であったとも思います。
そのことを通して、イスラエルだけではなく、現代を生きるクリスチャンもまた、神の存在を強く知ることになるからです。
骨となった死人をよみがえらせる→個のいのちを復活させる命の管理者である主。
そして、その命の集合体である国や民の単位を分裂から1つにまとめる→人類そのものを管理されている主。
私はそういう視点をもって37章を読みましたが、そこから、イスラエルが通った「王国時代」が、単なる偶像礼拝に走ることへの訓戒ではなく、神の「神性」があらわれるところとして、おそれを持つ、期待の心を持つことの意味をも教えられるものではないかと思いました。
24節以降の後半部分は、明らかにメシアとされているからには、単なるイスラエルの回復ではなく、イエスの到来を意味していることは明らかです。
そして、ダビデが、とあるのは、これは具体的な人間であるイエスが神として治めることなのだとよく伝わってきます。
そして、神殿礼拝についての言及は、まさに現代のクリスチャンの状態そのものです。
王国にあった神殿は壊されましたが、神の宮、聖所は「内」にあるとされます。
それは、神のおられるところが人それぞれの内に設けられるということでしょう。
ヨハネ1:1~は「ことばは人となって私たちの間に住まわれた」は、イエスが人となって来られて共に住まわれた、という風に受け取っていましたが、神は信じる者の内に住まわれるということをとてもよく説明しているように、ふと思いました。
ただし、安易な解釈は避けるべきなのかも知れないです。まあ自分に言うのですが。
イスラエルに語られることですから、本当の神の御心は、福音には結びついていることは間違いないにしても、あまりに飛躍して受け取ると、後に解釈で間違った方法にずれていく可能性もありますから。
今日のみことばからは、あきらめる必要はない、というメッセージを受け取りました。
骨になった人間を生き返らせる力が神にはあります。御心ならば、地中に埋まる骨や分解されたものからも、神は人を再び生き返らせてしまう力をお持ちだと言うことです。人間の力ではありません。神の力と神の御心、神の愛と正義がそうさせます。
このことは、一見絶望のような状態であったとして、もう終わったとあきらめてしまうな、と神に言われているように思いました。
信仰があり、神の正しさに叶うものであれば、以前よりも理想の形で再生される可能性があります。全ての領域でのあきらめを排除する一日にしたいと思います。もちろん、主にあって。