神である主がこう語るからです。

「バビロンの王ネブカデネザルは、
大ぜいのエジプト人を殺す。
11 国々に恐れられる王とその軍隊は、
エジプトを破壊するために遣わされる。
彼らはエジプトを攻め、地を死体で覆う。
12 わたしはナイル川を干上がらせ、
国全体を悪人どもの手に渡す。
外国人の手を借りて、
エジプトとその中にあるすべてのものを滅ぼす。
神であるわたしが、こう語ったのだ。
13 わたしは、エジプトの偶像やメンピスの神々の像を
打ち壊す。
エジプトには王がいなくなり、無政府状態になる。
14 ナイル川上流のパテロスの町々、
ツォアンやテーベは、わたしの手で廃墟と化す。
15 またわたしは、エジプト最強のとりでペルシウムに
怒りを注ぎ、テーベの人々を絶ち滅ぼす。
16 わたしは必ずエジプトに火をつけ、
ペルシウムを痛みで苦しませ、テーベを引き裂き、
メンピスを連日、恐怖におののかせる。
17 ヘリオポリスとブバスティスの若い男たちは
剣で殺され、女たちは奴隷として連れ去られる。
18 わたしがエジプトの力を砕く時、
タフパヌヘスも暗黒の日となる。
暗雲が地を覆い、
娘たちはとりことして連れ去られる。
19 このようにして、エジプトをきびしく罰する時、
彼らはわたしが主であることを知る。」

 

20 それから一年後、すなわちエホヤキン王が捕囚となって十一年目(エルサレム陥落の年)の第一の月の七日、次のようなことばがありました。 

21 「人の子よ。わたしはエジプト王の腕を打ち砕いた。その腕は手当てもされず、添え木も当てられなかったので、二度と剣を持つことができない。」

22 神である主が言います。

「わたしはエジプト王を攻め、骨折した腕とともに、もう一方の丈夫な腕も砕き、その手から剣をたたき落とす。 23 そして、エジプト人を多くの国に追い散らす。 24 わたしはバビロンの王の腕を強くし、その手にわたしの剣を握らせて、エジプトの王の腕を砕く。彼はバビロンの王の前で、瀕死の重傷を負った者のようにうめく。 25 わたしはバビロンの王の手を強くするが、エジプトの王の腕はわきに垂れ下がるだけで、使えないものとする。だから、バビロンの王がわたしの剣を握り、それをエジプトに振りかざす時、エジプトはわたしが主であることを知る。 26 わたしはエジプト人を外国に散らす。その時、彼らはわたしが主であることを知る。」

 

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エジプトとバビロン、どちらも、ここで預言を与えている神を信じていない国々

バビロンのネブカデネザルを用いて、エジプトを再起不能レベルまで破滅にみちびくという預言

 

ユダ、イスラエルの視点からすると、エジプトはユダが助けを求めた先、バビロンは攻め入られて滅ぼされた先

 

神はネブカデネザルにご自分の剣を与えると言われている

用いられているのだけれど、ネブカデネザルには信仰はない

エジプトと同じく神ではないものを神としている偶像礼拝者だ

どうしてなのだろう

 

整理がいると思った

エジプトはユダが頼った→神ではなく人・軍事力に頼った

バビロンはユダを滅ぼした→実は人・軍事力ではなく神の剣だった(そう言っていいだろう)

 

外見上、エジプトもバビロンも、そしてユダも、神無きものとして騒ぎ立てている

その中でも神に問題であったのは、ユダ→イスラエル

契約があるから、アブラハムの信仰による契約

そして、後に、世にキリストをもたらす器である必要がある

 

1948年のイスラエル建国を連想させる

あの契約は生きているし、今はイエス再臨の素地としてあらゆるものを用いられている可能性を感じる

実際、イスラエルは建国された

それは、イスラエルの信仰によらない、ただ神のプランの実現

代表だったベン・グリオンは信仰者ではなかった

 

なぜバビロンだったかエジプトだったかの神の理由ははっきりとは見えてこない

ただ、このことを通じて、エジプトに主の存在を知らしめると何度も言われている

エジプトだけなのか、いや、それは私も含まれる、全ての世で生きる者に知らしめる意味合いもあるのではないか

 

WW1や2は、人間対人間の戦いで、神は不在だったのか

イスラエル建国から逆算すると、神の剣が渡されたものの戦いであったものに見えて来る

神の御手が歴史に働いていることを知る、それが「彼らはわたしが主であることを知る」の真意ではないかと思った

そしてその御手は、今この瞬間にも動き続けていることをおそれを持って受け止めるべき

そこにこそ希望がある

 

人の興味、或いは信仰のステイタスにはまるで無関係に、神はおられて働き続けておられる

間違ってはいけないのは、神の目的は、人を懲らしめたり、人を滅ぼすことではないということ

全ての人とご自分との関係の修復をイエスによって明らかにされている

だから、人はただ信じて、その愛のうちに入られるべきで、それが合理

神の剣はまた不信仰者に渡されて、世界は殺戮、疫病、災難に満ちるだろう

その中なのか、その前に上げられるのかわからないが、今度はイスラエルの再建ではなく、神の国の到来のためだ

神がおられること、神が全てを動かしておられることは、既に歴史が語っていること

だから、バビロンやエジプトに属して神などいないと言ったり、偽物の無力な偶像に夢中になるのではなく、この神に立ち返ることのみが来る神の国の所属となる唯一で最も自然な人の道ということだ