ハレルヤ。
主に仕える人々は、主の御名をほめたたえなさい。
永遠から永遠まで、
主の御名がたたえられますように。
夜明けから日没まで賛美し続けなさい。
主は国々を高い所から見下ろし、
ご栄光は世界中に満ちています。
これほど高い御座についておられる神である主を、
ほかのだれと比べることができましょう。
主は、はるか下の天と地を、身をかがめて眺めては、
弱い者や、飢えた者を拾い上げ、
人々の指導者とされるのです。
不妊の女は子宝に恵まれ、幸せな母親となるのです。
ハレルヤ。神をほめたたえなさい。

 

夜明けから日没まで賛美しなさい

神は弱い者や飢えた者を人々の指導者にされる

不妊の女に子を授けるお方だから

 

詩的な表現として読むことも出来るが、これは比喩ではなく神のご性質と言える

弱い者を引き上げられるという点では、聖書はまさにその記述書ではないか

ヨセフは、モーセは、ダビデは、弱い者であったのに大きく用いられた

宗教者としてではなく、世の指導者として

ハンナ、サラ、リベカ、ラケル、エリサベツはどうか

神のご介入を当事者として経験した

 

もちろん全ての弱い者、全ての不妊の者がそうなるというわけではないから、詩的と言うのだが、賛美そのもの神を称える言葉そのものだ

 

夜明けから日没まで賛美は大袈裟なのか、これも詩的なのか

信じる者は、そうなるし、信じていてそうでもない者も、気づかされていくもの

その気づきに関するところが、弱い者を引き上げ、不妊の女に子を授ける方ではないか、そういうお方ではないか、と

 

そういうお方、どういうお方か

神は高いところにおられて信じる者とは無関係なのか

高すぎて見えないお方なのか

そうじゃないよ、とここで賛美とともに教えている

信じる者からよじ登っていくのではなく、神から身をかがめて下である人間のところを注視しておられる、あわれみをかけてくださる

 

これらってつまり、イエス・キリストを表していると言えるな、と思った

弱い者であること、世の中では賞賛されない者であることについて、悲観するのはやめよう

神は信じる者を、そのままで放っておかれないお方

だから、賛美は溢れ出す