アミタイの子ヨナに、主から次のようなことばがありました。
2 「あの大きな町ニネベへ行って、主からの知らせを告げよ。『わたしはおまえたちを滅ぼす。おまえたちの悪行がわたしの前に上り、その悪臭が天にまで達したからだ』と。」
3 しかし、ヨナは行くことを恐れ、主の前から逃げました。ニネベとは反対方向の海岸の方へ向かい、ヨッパの港に着くと、タルシシュ行きの船が出るところでした。船賃を払って船に乗り込んだヨナは、主から身を隠そうと暗い船底に下りて行きました。
4 ところが航海が始まると、主が嵐を起こしたので、突然船は突風に見舞われ、今にも沈みそうになりました。
5 身の危険を感じた水夫たちは、必死の思いで、自分の信じている神々に助けを叫び求め、船を軽くしようと、積み荷を海に捨てました。その間、ヨナは船底でぐっすり眠っていたのです。
6 それで船長は船底に下りて行って、大声でどなりました。「おい! どういうつもりだ、こんな時に眠っているのは。さっさと起きて、あなたの神に祈ったらどうだ。そうすれば、お恵みで助けてもらえるかもしれないぞ。」
7 水夫たちはくじを引くことにしました。神々を怒らせて、こんな恐ろしい嵐を引き起こしたのはだれか、知ろうというのです。くじはヨナに当たりました。
8 「いったい何をしたのか、こんなに恐ろしい嵐を起こすとは。あなたは何者なのだ。仕事は何をしている? どこの国から来た?」
9-10 ヨナは答えました。「私はユダヤ人です。この地と海とをお造りになった天の神様である主を拝んでいる者です。」それから、主から逃げているところであることを話しました。
人々は話を聞くと、とても恐ろしくなり、「何でそんなことをしたのか。
ヨナ書のQTが出来ることを喜んでいます。
ここではとても印象的で忘れられない出来事が記されるのですが、そこから更に神の御心を求めることで、また新しく神を更に知る機会になれば嬉しいです。
私は少しだけ、神から逃げるヨナの心が見える気がします。
「神から逃げる」って何なのか、ですねポイントは。
私はまだ信仰を持って14年です。
新しい人生はまだまだ続きがあるのですが、これまでを客観的に”霊的なフィルター”で自分を見てみると、ヨナ的逃走の期間は、結構な時間を占めているぞ、と思いました。
信じているのに、神から逃げる。
それは信じていないのではないか、いや、信じています。
ヨナが自分の信仰を異教徒の船員たちに宣言しているように、信じているのに逃げているのです。
だから異教徒たちに「何でそんなことをしたのか」と言われているわけです。相当滑稽なことです。明らかな言行不一致。
私はこの言わば霊と実践の不一致に、相当な時間を費やしてきたなと認めざるをえません。
伝道しないといけない、伝道は救われたものの責任だ、伝道して生きる。
神にお出来にならないことはない、神は全てをご存じだ、神は生きておられる。
イエスこそがメサイアだ、イエスについていく、イエスはまた来られる。
これら全部言ってます。それなのに言行不一致が起きている状況というのは、逃げるヨナと全く同じ様子だと、見せつけられる思いです。ここでのヨナは、私自身です。
そして、嵐がヨナを襲っているところもまた、見せられていると思います。
神から、逃げても、それは逃げているつもりでしかなく、逃げ切れるわけがない、という現実に立ち返らされます。
船底に下りても逃げられません。
非常に重いことですが、これはもうあきらめるしかなさそうです。
心当たりがあります。というか、心当たりだらけです。
今年に入ってから、いくつかのチャレンジを受け、その1つはとても困難なことで、あとは召しに関わることです。
今回のこのヨナ書QTは、そのいくつもの”心当たり”にも同時に焦点を当てながら、神にみちびかれる機会にしたいと思いました。
私には、その”心当たり”に気合で立ち向かうことは出来ません。しかし、立ち向かわせる神の御心だけを受け入れて、みちびかれたいと思っている、そういうことです。
力が与えられるでしょうから。