たとえ私に、異言で話す賜物があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、愛がないならただの騒音にすぎません。 

同様に、預言(託された神のことばを語る)の賜物があり、あらゆることに通じていても、また山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、何の価値もないのです。 

そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また福音を宣べ伝えるために火あぶりの刑を受けても、愛がなければ、何の価値もありません

 

愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。 

決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いら立たず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても気にとめません。 

決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。 

愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます

 

神からいただいた賜物や能力は、いつかは尽きます。しかし、愛は永遠に続きます。預言すること、異言で語ること、知識などの賜物は、やがて消え去ります。 

たとえ特別な賜物が与えられていても、いま私たちの知っていること、預言することは、ほんの一部にすぎません。 

10 しかし、私たちが完全な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。 

11 それは、こんなことから説明できるでしょう。子どもの時の私は子どものように話し、子どものように考え、子どものように判断していました。しかし、大人になると考え方も成長し、今では子どもっぽいこととは縁を切りました。 

12 同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

13 いつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。その中で最もすぐれているものは愛です

 

このみことばもまた、超有名で、引用されたものを含めると、最頻出箇所の一つかなと思います。

しかし今朝こうして、今の自分の状況でしっかり取っては噛み、取っては噛み、のように慎重に読んでみると、以前とはまた違った歯ごたえと味があることがとてもよくわかります。

そして今朝、フォーカスされるものは、やはり愛ですが、こんなにも大事な答えだったのかと過呼吸になるような心持ちでいます。

 

信仰、希望、愛は残るとパウロは言います。

ではどの時点で、それ以外のすべては消え去るのか、それは全くわかりませんが、黙示録にある最終フェーズだけは、様相が違うなあと感じているところがあるのですが、その時点で永遠の形へと変えられることでしょう。

そこには、信仰と希望と愛があるのかなあ、などと想像にふけりました。

 

また、信仰と希望、というのは神には無い(来られたイエスにはありました)もので、愛は神であって人にもあり得るものと言えます。

この辺も面白い考察になってきますが、先日の神の目線を意識してみるということへのつながりも感じます。そしてその愛が最も優れるのだとパウロは主張するところが、なるほどなあとも思えるのです。

 

その神の愛の質とは、の部分が私にとっては今日のハイライトです。

 

寛容

親切

ねたまない

自慢しない高慢にならない

思いあがらず

自分の利益を求めず

無礼なふるまいをしない

自分のやり方を通そうとしない

苛立たない腹を立てない

恨まず人からの悪事を気に留めない

不正を喜ばず真理を選ぶ

どんな犠牲を払っても誠実を尽くす

すべてを信じる

最善を期待して忍耐する

 

チェックシートのようにしてみると、自分に少し落胆した気持ちになります。

神は人をご自分(ら)に似せて創造されたとのことですが、その人に残っている神性の部分の一つかも知れない「愛」の部分というのは、実に分厚い蓋で塞がれているようにも思いました。

そして、その蓋を叩き割ることが出来ましたよという知らせは、それは福音であり、信仰はそれをドライブし、希望が溢れるという、そんなロールプレイングがこの永遠の”三器”で妄想しました。

 

私にも愛はあります。しかし、その愛が完全なものとなって表出するためには、イエスの力、聖霊によるオープンリッドが必要であることがわかってきます。

賜物、素晴らしい能力、技術、人間性とか暮らし向きも性格も、全ては終わります。

最後に、人に存在している神や人同士の関係性をつなぐものは確かに、信仰でないといけないですし、それでこそ希望が希望のまま永続し得るのですし、愛があり得ます。人同士の関係性だけに焦点を絞ると、今、毎日ほど人を悩ませるその関係は、愛でしかなくなるのですから、パウロが最もすぐれているというのもわかります。

憎しみ、競争心、利己ではないのですね。

 

まあ、QTというより、ほとんどが自分の想像世界になっている気がしましたが、そこまで的外れでないでしょう。

今日の実践は、寛容と親切です。

この小さいものにしたことは、わたしにしたのです。イエスのみことばが響いてきます。