12 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。キリストの体についても同じことが言えます。
13 私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。
14 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。
15 たとえ足が、「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。
16 また、もし耳が、「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言っても、耳が体から離れることができますか。
17 考えてもごらんなさい。もし体全体が目であれば、聞くことができるでしょうか。もし体全体が巨大な一つの耳なら、においをかげるでしょうか。
18 神様は、私たちの体をそのように造られたのではありません。体を形成するために多くの部分を造り、配置されました。
19 もし単一の器官でできていたら、体はどんなものになっていたでしょう。
20 ですから、神様は多くの器官を造られましたが、体は一つなのです。
以前お茶の水でアーサー・ホーランド氏に会いました。
私と同行していた人が知り合いだったので少し話が出来たので、思い切って聞いてみました。
私は伝道したい心があるし、何とか伝えようとしている、しかしそれで友人などに冷たくされることが続いて、勇気が出なくなってしまっている。どうしたらいいか。
というような内容でした。
アーサー氏は、お前にはお前にしか出来ない伝道がある。だから、それをやれるようにすればいい。おれにはおれにしか出来ない相手と方法でやってるだけ。
そのような事を言われたのを覚えている。
誰かが立派な伝道者だから、そのようにならなければならない、という自分への縛りを捨てることが出来た瞬間でした。
聖霊のみちびきについては、特に言われなかったと思いますが、今日のみことばととてもつながりの深い部分であると思います。
アーサー氏と私が受けている聖霊は、確かに、同じ聖霊様であり、ある人やある場所、場面にはアーサー氏をアサインし、また別のところに私をアサインしている。
簡単に言えば、適材適所なのだろうけど、目的はやはり一つで、人に救いを得させるため、福音を拡散させるため、と捉えていて間違いないでしょう。
教会の存在もまた、そのためと言えるから。福音を聞き、受け取った者が牧されるところであり、それを維持するということは、伝道することと根本的には同じ目的の下にあるはずです。皆同じ神、同じ聖霊、同じイエス・キリストを信じています。
目には目の働きがあって、その働きが耳にとって代わることはありません。
目は目として聖霊によって与えられた働きと能を発揮すべきとも言えるのではないでしょうか。
私にしかできない伝道、とは、私にしか出来ない奉仕、とは。
はっきりとした答えはまだ出ないのですが、聖霊にたずねることを今更ながら実践したいと思います。