19 これにはまた、すばらしい利点があります。だれからも給料をもらわないということは、だれからも自由だということです。けれども私は、一人でも多くの人をキリストに導くために、自ら進んで、また喜んで、すべての人の奴隷となりました。
20 私はユダヤ人といっしょにいる時は、ユダヤ人のようにふるまいます。それによって、彼らが福音に耳を傾け、キリストに導かれるためです。
また、ユダヤ教の習慣や儀式を守っている外国人といっしょにいる時は、私自身はそのことに同意していなくても、議論したりはしません。何とかして、彼らを助けたいからです。
21 異教徒といっしょにいる時は、できるだけ、彼らに合わせるようにしています。もちろん、クリスチャンとしての正しさだけは失わないように気をつけますが。こうして、彼らに合わせることによって、その信頼を得、彼らをも助けることができるのです。
22 良心を悩ませやすい人たちのそばでは、自分の知識をひけらかすような行動をしたり、「それは考えが足りない」などと指摘したりはしません。すると、彼らのほうでも心を開いてくれます。その人が救われるためには、私はどんな人に対しても同じ立場に立とうと心がけています。
23 これは福音を伝えるためであり、また、キリストの救いに導かれる彼らを見て、私自身も祝福を受けるためなのです。
24 競走をするとき、優勝者は一人だけです。ですからあなたがたも、優勝するために走りなさい。
25 競走の選手はベストを尽くせるよう、何事にも節制しなければなりません。彼らは、やがては朽ちてしまう栄冠を得ようと、あらゆる困難と戦い、ひたすらトレーニングに励むのですが、私たちは、決して朽ちない栄光を受けるためにそうするのです。
26 ですから私は、ゴールを目指して、わき目もふらず全力で走ります。勝つために戦うのです。空を打つようなボクシングをしたり、おもしろ半分に走ったりはしません。
27 自分の体をむち打ってきびしく鍛練し、なすべきことができるよう訓練しています。そうでないと、ほかの人たちを競技に参加させておきながら、自分は失格者として退場を命じられるかもしれないからです。
私の中ではとてもインパクトがあるみことばで、このみことばというのは、十字架のように心の中に立つものです。
ユダヤ人といる時はユダヤ人のように、異教徒といるときは異教徒に合わせて、自分の考えを押し付けないようにするのだと。
目的は、その人に心を開いてもらうためです。
目的は、その人から信頼されるためです。
目的は、その人に伝道するためです。
目的は、その人が救われるためです。
そして、その目的のために、自分は節制すると言います。
他人には福音を伝えるためには、自分がまずは福音にふさわしく歩んでいる必要があるからです。
全ては、目的を達成するためにベストを尽くすこと。
人生について、色々と考えることがあります。
あれこれと、頭の中でロールプレイングしながら、70歳くらいまでは何か仕事を持っていたいだとか、大きな病気をする可能性もあるからその時はこうしよう、とか、自分が家内より先に死ぬ時に備えて・・・だとか何とか。
家内は立派なキャリアがありますから、もっと考えていると思います。
しかし、ここから出てくることと言うのは、結局のところ、先行きが見えないことに対する不安です。
そして、そんな先ではなくとも、予定外・想定外のことが起きてくるのですから、そういう将来に対する考えというのは、非常に脆いものだということが、最近は特に身に染みています。
家内と私は、ある時から、1年程前でしょうか、共通して祈っていることがあります。
それは、人生の目的が、伝道になることです。
もうこの時点で、私たちがパウロのようではないことがはっきりとしてくるのですが、そういう未来への不安に立ち向かうことを諦めた時に出て来た「道」なのです。
今は正直、もういいじゃないか、伝道だけを目的に生きれば、それで全てはうまくいくよ、というものです。どちらかと言えば受け身です。
しかし、それそのものが道であることもまた知らされて、開かれつつあることも事実です。
私たちは、どちらかと言えば内向的で、自分たちの時間を守るために、人付き合いを限定してきたところがあります。
特に家内は、それが普通(家族との時間優先)の環境で育ち、生きて来たことがわかりますから、人付き合いを必要最低限に抑えて来たところがあります。
ところが、昨年の秋に海外から日本に帰ってきてからは、付き合いの幅が広がってきました。
クリスチャンだけではなく、職場の友達、昔伝道して受け入れていない友達、旅行でやってきた人たち、などなど。
教会内での人間関係も急激に活発化しました。
祈りが聞かれていること、道がまっすぐになっていることを感じずにはいられません。
祈り続けたいと思います。
そして、パウロが教えてくれるのはずばり、「伝道のために、お前が罪としっかり戦え」だと思うんですね。はっきりしてきます。
今日のみことばからは、人との関係性を全て伝道のために調整する、ということです。
言葉づかい、態度、全てです。