キリストが禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。しかしその中には、自分のためにならないこともあります。たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。
13 食べることについて考えてみましょう。神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。食べることが第一だなどと考えてはいけません。なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。
また、性的な罪は絶対にいけません。私たちの体は、そんなことのためにではなく、主のために造られたのです。そして、主ご自身が、私たちの体に住もうと願っておられるのです。
14 神様は、主イエス・キリストを復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしておられます。
15 あなたがたの体は、キリストの体の一部であることがわからないのですか。キリストの体の一部と売春婦とを結びつけるようなことをしてよいでしょうか。とんでもないことです。
16 もし人が売春婦と結びつくなら、その人と彼女は一心同体になることがわからないのですか。というのは、聖書の中で言われるとおり、神の目に、二人の者は一人とみなされるからです。
17 しかし自分を主にささげるなら、その人とキリストは、一人の人として結び合わされるのです。
18 性的な罪とは無縁になりなさいと私が言うのは、そのためです。この罪を犯すことは、自分の体に対して罪を犯すのです。
19 体は、神様があなたがたに与えてくださった聖霊の家であって、聖霊がそこに住んでおられるのです。あなたがたの体は、自分のものではありません。
20 神様が多額の代価を払って、あなたがたを買い取ってくださったのです。ですから、あなたがたの体のどの部分も、神の栄光を現すために用いなさい。その所有者は神だからです。
聖書は全ての人は罪を犯していると断罪しますが、そう言えるわかりやすい理由はこの性の部分です。
イエスは、女性を見て淫らなことを想像しただけで姦淫の罪を犯していると言われました。
誘惑を受けてしまうことについては、その時点では罪ではないのでしょうが、欲がはらんで罪を生み罪が熱されて死を生む、とあるように、誘惑を自分の欲と結び付けて助長→想像することは既に罪であると言われているのだと思います。
刑法の犯罪成立の構成要素の一つは「行動」です。
想像しているだけでは刑法上の犯罪にはなりません。
しかし、聖書の罪規定では想像が罪になるのですから、これを一生の中でゼロで過ごせる人はそうそういません。
イエスはこうも言われました。
目をくりぬく方がまし、手を切り捨てる方がまし。
全身がゲヘナ(≒地獄)に落とされるよりまし、ということですが、それほどでもしなければ避けられないとも取れます。
罪とは何かをふりかざしている私ですが、このことについて、毎日のように自分の中に衝突を繰り返してしまう者、つまり、今も罪人です。今も悔い改めをやめられないし、だからこそ今もイエスが常時必要だということです。
今日のみことばからは、もうそのままですが、性の誘惑に立ち向かうことが明確に示されています。
真摯に祈って、聖霊の力によってこそ成されるように願います。