あなたがたは自分たちが神の家であり、神の聖霊が自分の内に住んでおられることがわからないのですか。
17 もし神の家を汚したり、こわしたりする人がいれば、神様はその人を滅ぼされます。なぜなら、神の家は聖なるものだからです。あなたがたは、その神の家なのです。
18 自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。
19 この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。
20 また、詩篇には、「主は、人間の考えや判断がどんな程度か、また、それがどんなに愚かしく無益か、よく知っておられる」(94・11)とあります。
21 ですから、この世の知者の弟子であることを誇ってはなりません。神様はすでに、あなたがたに必要なものは全部与えてくださっているのです。
22 パウロも、アポロも、ペテロも、あなたがたを助けるために神がお遣わしになったのです。神様は全世界を、あなたがたの益になるようにと与えてくださいました。生も死も、あなたがたのものなのです。現在のことも、将来のことも、すべては、あなたがたの手にあります。
23 そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。
これは私の感じていることと言うより、以前教わったことなのですが、17節にある「神様はその人を滅ぼされます」というパウロの言葉は深刻で、つまり、罪に関わることです。
「人の弱さ」を理由に、罪を仕方ないものとして語ってしまうことがありますが、ここは十分に気をつけておかなければならないところだと思います。
というのは、人間的な党派心や世の知恵による高慢な態度は、それそのものと言うより、教会を破壊することにつながるからです。
先日オンライン祈り会があって、信仰を持たれて間もない60代半ばの方が参加されました。
その方は、芸能活動をされていて、今も社会的に広く認められている方です。
その方が、祈りとして声にしてはっきりと言われたのは「キリストさま、この何もわからない私にもっと教えてください。」ということでした。
クリスチャンには、祈る時の専門用語のようなものが存在して、それを組み合わせて祈ることが多くなります。
それは、祈りの心を注ぎ出すという点では、とても使い勝手のよいものですが、そういう慣例がまるでない方の祈りは、とても迫真であったと思います。
多くの参加者に多くを投げかけたのではないでしょうか。
イエスは「後の物が先になる」という話をされましたが、私はこれもまた、そういうことだと思いました。
60歳を過ぎてから信仰を持たれたあの方が、ご自分ではわかっていらっしゃらないけれど、教会をリードされている場面だったと思うのです。
専門用語も慣例事項も、神学的な知識もあまり無い、ただ心から溢れて出るように神に向かって差し伸べられた「物乞いの手」のようでした。
教会は、このような方によって守られていくのだろうなあ、と思いました。
コリント教会が、パウロ派、アポロ派などにわかれて、ディベート会場と化していたことがよくわかります。
それは、教会の破壊行為であることもまたあらためて教えられます。
その解決としてパウロは「愚かになれ」と言います。
そのことは、知識を捨ててしまえ、ではないと思います。
知識など人間的な強さを背景とした自信とか自分への評価のことでしょう。
そうすることによって、神の知恵が与えられるのだと。
ポイントです。
明日の日曜日、私はスモールグループでファシリテーターの役割があります。
これ、そこまで大きな役割とは思わないのですが、問題は言語です。
日本人は私一人ですから、全てを英語でやらないといけないので、今日はその準備で大変です。
しかし、私はここであまりに「英語で話す」を意識し過ぎないでよいのかも知れません。
ヘタクソな英語がよいわけではないのですが、もっと大事なことに目を向けて、交わりと、メッセージの共有に集中しなさい、という示しが与えられたと思っています。
その上で、神からのみちびきと知恵が与えられることを祈っていきたいと思います。
私がそのような形で言語に「愚か」になることが、もっと神が喜ばれる捧げものになる道なのかも知れないです。