13 こうしてボアズはルツと結婚し、まもなく彼女は男の子を授かりました。 14 女たちはナオミに言いました。「よかったわね。主がこんなにかわいいお孫さんを授けてくださるなんて。きっとこの子はイスラエルでその名が知られるようになるわ。 15 おかげで、あなたは若返り、老後の心配もありませんね。何しろ、あんなに母親思いで、七人の息子にもまさるあなたのお嫁さんから生まれた子どもなんだもの。」

16-17 ナオミはその赤ん坊を手塩にかけて育てました。近所の女たちは、「ごらんなさいよ。あのナオミさんに、また男の子が生まれた」と言って、その子にオベデ(「仕える者」の意)という名をつけました。オベデはエッサイの父で、ダビデ王の祖父となった人です。

18-22 先祖ペレツから始まるボアズの家系は次のとおりです。ペレツ、ヘツロン、ラム、アミナダブ、ナフション、サルモン、ボアズ、オベデ、エッサイ、ダビデ。

 

この結婚をどう見るかというところで、神の視点を大事にしたいと思いました。

そこから私の頭に浮かび上がるのは「組み込み」という言葉です。

 

ルツは、もともとはイスラエルの者ではなかったのですが、言わば約束の民と言えるイスラエルに、まるで一つのパーツのように組み込まれているように感じるということです。

 

神がアブラハムに約束された、「イスラエルを通しての全ての人への祝福」がどのように成されているかの過程とも言えます。

妙なカルト的視点になっても嫌ですから、あくまでも私個人のニュアンスとかイメージだけのものですが、全ての人は「イスラエルに組み込まれる→祝福される」ということなのか、と。まるで、神がピンセットでパーツをつまんで基盤にそれを組み込むように。

そういうイメージを、イスラエルとは・神の国とは・新しいエルサレムとはをこれから知っていく上で、どこか頭の片隅に置いておこうと思います。

 

視点を個人的な視点に戻していくと、とてもわかりやすい「人生の回復と創生」が見えてきます。

ナオミやルツは、まるで人生が失われたかのような時間を過ごしながら、信仰によってみちびかれることによって、人生が回復し、新たな道が開かれていきました。

非常に大事なことは、ナオミはイスラエルに帰るという行動、ルツは信仰によってナオミに付き従うという行動、ボアズへの大胆とも言える求婚という行動、ボアズは買い戻しの権利を公に獲得しルツと結婚するという行動が、神への信仰を土台として起こされてきたことです。行動です。

 

日本古来からの考えとか、世界にも多くある価値観からすると、良い行いをすることによって救われるという定説が存在します。

しかし、この聖書が語る神の国へとやがて組み込まれる=肉体は死んでもやがて復活して永遠に生きるという約束は=救いは、良い行いによって入手できるような安物ではなく、神を信じることによって成され、行動は神の御心から起こされていくという過程があらわれていると思えました。

行動によって救われるのではなく、信仰がゆえの救いによって行動が起こされる、ということです。

彼らのその行動がダビデ誕生につながっていったことは、それが過程として神のご計画に用いられたとも言えるし、神がご計画を実行されたとも言えます。

 

今日、私はあるミニストリーで一歩を踏み出します。

どうしてそれをやるのかという動機の部分で、しっかり信仰に立っていくようにというチャレンジを受けています。

もし、何か良い事をしようとか、自分を飾り立てようとしているとしたら、恐らく、失敗するのではないかという不安が出てきます。

しかし、信仰に立てば、「組み込まれ」ます。※一見は教会に組み込まれる、ということでしょうが、これは神の国への組み込みでしょう

後者であることをしっかり抱いて臨みたいと思います。