当時イスラエルでは、人が買い戻しの権利を譲る時は、くつを脱いで相手に渡す習慣がありました。こうして、すべての取り引きが公認となるのです。 その人はボアズに「あなたに譲る」と言って、くつを脱ぎました。 ボアズは、同席の証人や長老たちに向かって言いました。「では皆さん。今日、私がナオミから、エリメレクおよびキルヨンやマフロンの全財産を買い取ったことを、お認めいただけますね。 10 また、マフロンの未亡人でモアブ人のルツも、妻として譲り受けることになります。ルツの産む子どもは亡くなった夫の家名を継ぐことができるのです。このことの証人になっていただけますか。」

11 すると、その場に居合わせた人々は、証人として答えました。「喜んで証人となりましょう。どうか主が、あなたがお迎えになる女に、イスラエル国民の母ラケルとレアのように、子どもを大ぜいお授けくださるように。またあなたも、ベツレヘムで大いに栄えられますように。 12 その昔、主がわれらの先祖ペレツを、タマルを通してユダにお与えくださったように、あなたもこの若い女を通して子どもを授かり、末長く繁栄されますように。」

 

この靴のやり取りは儀式でしかないのですが、証人がいる前で行っているところがポイントで、ボアズが買い戻りの権利の行使とレアとの結婚を、内密ではなく公にしていることが重要だと思います。

 

昨日は、ボアズが買い戻しの権利を、駆け引きや話術ではなくただ状況を伝えることによって筆頭者から獲得したことに注目しました。

 

そしてここでも、こそこそと気まずそうに物事を進めるのではなく、正々堂々と正しいことを行うボアズの姿に、神の栄光を見る気持ちになります。

 

ここで再び、買い戻しの権利を放棄した親戚との対比なのですが、あれはあれで合理的です。自分の資産をしっかり守ることにおいて。

そう言えば、ナオミのもとから離れてモアブに戻ったオルパも同じでした。何の社会的保証もないナオミと一緒に外国のイスラエルに入るより、郷里に戻ってまた結婚した方が生活としては安定します。そういう合理的な判断をして戻りました。

 

そして、一見不合理な信仰による選択をしたルツ。またボアズも、経済的には不合理な選択しているのですが、これが不合理と不合理のかけあわせであると言えますでしょうか。

 

ボアズが、ナオミの系列の資産を守り、家の名を守り、ナオミの生活を守り、外国人であるルツを妻として迎えることは、この立ち合わせた証人たちによって祝福されています。

そして、これがそう遠くない先に、ダビデというイスラエルの中でも突出した人物を輩出する系列となります。

そして、キリスト・イエスもこの系列から世に来られるわけですから、その”不合理な選択”は世界中に多大な影響を与えることになるのです。

不合理などではありません。

 

それにしても、この祝福の言葉は激しさすら感じますね。

聖霊がみちびかれたのだと思いますが、異国人であるモアブのルツに対して、「ラケルとレアのように」と祝福しています。

ラケルとレアと言えば、イスラエル12部族の母ですから、そのようになれと祝福する意図がどれほどのものか、、、ということです。

そしてさらにタマルとペレツも挙げられるのですが、苦難の中からユダ族が立てられた経緯を醸すものです。

 

ルツ記をここまで深く読み進めているうち、一つはっきりとした神のご性質を感じています。

神は、平穏でならされたきれいな状況ではなく、ぼろぼろに廃れ果てて希望の無いところ、苦しみ・悲しみ、不安定なところを用いて「救いの道」を見出されているということです。メシアへの道です。「聖書とは何か」を示しているもの、と言ってもよいと思います。

 

キリストの使徒、パウロは、「神は弱さの中に完全にあらわれる」と言いました。

もしも、このブログを読んでいただいている方の中で、今、苦境に立たれている方がいらっしゃるなら、私は声を大にして言いたいです。

「神はその弱さの中にこそ完全にあらわれて、あなたを祝福しようとしておられる。」ということです。

友人・知人、家族の関係の中ですら”しんどい”状況にあられたとしも。あなたご自身の失敗による自業自得の状況での苦しみであったとしても。

その苦しみの中にこそ神の祝福があり、神による回復と永遠の平安を与えようとされているということです。

その祝福は、神を信じ、願うことによってあなたのものになります。

どうか今すぐ、神の助けと祝福をお祈りください。

不合理を合理にみちびかれる神がおられます。