さて、ボアズはさっそく広場に出かけ、目ざす相手を見つけました。「ちょっと折り入ってお話ししたいことがあるのですが、いいですか。」

二人は並んで腰をおろしました。 それからボアズは町の指導者十人を招き、証人になってくれるように頼みました。 万事の手はずが整うと、ボアズは相手に話を切り出しました。「モアブから帰って来たナオミのことは、ご存じですね。実は、あの人が私たちの身内のエリメレクの畑を売りたいと言っています。 そのことをお耳に入れるべきだと思ったのです。ここに証人の方々もおられるので、よかったら、畑を買ってください。いかがですか? はっきりしたお返事を頂きたいのです。もし、そうされないなら私が買いましょう。ただ、一番にそれを買い戻す権利はあなたにあって、私はその次なのです。」

その親戚の者は言いました。「いいだろう。買うことにしよう。」

そこで、ボアズは言いました。「ところで、ナオミから畑を買い戻すとなると、ナオミの嫁ルツを妻に迎えてもらわなければなりません。ルツは子どもをもうけ、その地を相続させて、亡き夫の名を残さなければなりませんから。」

すると彼は言いました。「そんなことなら、私は降りる。生まれてくる子にまで財産を分けてやるなんて、それは困る。あなたが買ってくれないか。」

 

ルツに対してボアズは「若い男に心をひかれなかった」と言っています。

ということは、ボアズは現代で言えば中年かそれ以上の年齢だったのかも知れません。

このボアズの年齢は邪推です。聖書の中では大したことではありませんが、この話が現実であることを裏付けるものとして、私はあえて重要視しました。

なぜボアズはここまでしているのか、という動機に関わることです。

 

そこには、ボアズにとっての喜びがあったと思います。

外人であるルツの状況を知っており、彼女に対して親切にしたいと心がまずあったこと。もしかすると、言わば危険をおかしてナオミについて来たルツに尊敬の念もあったかも知れません。

そのルツから、律法に従う形で求婚を受けたことは、その時点では恋愛感情や性的欲求はなく、責任を感じたのではないかと思います。それは、神から与えられた召しのような責任です。

一方では、おそらく独身であっただろうボアズにとっても喜びであったでしょう。もしかすると、あきらめかけていたか、待っていた、結婚の機会であったからです。

 

私はこれ、完璧だと思います。

ボアズがルツを愛し大切にしようとする条件として。ルツやナオミを守りたいというボアズの良心がボアズの喜びよってドライブされるようになります。

そしてそれだけではなく、律法(結婚の件、土地の件)、つまり、神の御心によって固められたことだから、完璧だと感じるのです。

 

ではその完璧な状況の中で買い戻しの権利行使を進めるにあたり、ボアズがどのような方策を取ったのか、が今日のみことばです。

結論としては、ボアズには方策などはなかった。という方策でした。

 

ボアズは駆け引きなどせず、ただ、買い戻しの権利の筆頭者に対して、状況説明をしているだけです。ボアズの状況は神の御心によって完璧であるから、あれこれの商売的な駆け引きなどは必要なく、神のみちびきによって進められているだけだということです。

結果、損得勘定だけで物事を判断した名もなき筆頭者は、買い戻しの権利を即決で手放しています。

 

このボアズの完璧さは、キリスト・イエスの予表としてよく説明されます。

ボアズの買い戻しは、イエスによるわれわれ人への贖いと同じ構造で働いていると。

今回これを補強する内容として、ボアズの背景とルツを愛すようになる動機や必然性を考えたことは、私にとってはとても大事なことでした。

救いは、完璧な必然性の中で成立されていることを知るからです。それはもちろん、神の愛です。その愛は、私に向けられていることを知るということです。

 

今日のみことばからは、方策など考える必要がない、ということです。

自分を飾り立てるようなことを含めて、色々と方策を考えがちです。

しかし、神のご計画には、そういう計算は無用です。神が既に計算されているからです。

信仰にあって、ただ、物事を進めること。

そこに答えがあるだけです。正しければ進みます。間違っていれば止まります。