ある日、ナオミはルツに話しかけました。「ねえ、ルツや。そろそろあなたも良いお婿さんを見つけて幸せにならなければね。 2 実は、これはと思っている人がいるの。あのボアズさんよ。あの方はとっても親切にしてくださったし、近い親戚でもあるからね。たまたま耳にしたんだけど、今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けるって話よ。 3 さあ、私の言うとおりにしておくれ。体を洗って香油を塗り、きれいな服を着て、打ち場へお行き。ただし、あの方が夕食をすますまでは気づかれないようにね。 4 あの方がお休みになる場所をちゃんと見届けてから、そっと入って行き、足もとの覆いをまくって横になりなさい。あとはあの方が、あなたがどうすべきかを教えてくださるでしょう。」
5 「わかりました。おっしゃるとおりにします。」
6-7 ルツはしゅうとめに教えられたとおり、その夜、打ち場に出かけて行きました。ボアズは食事をすますとすっかり心地よくなって、積み重ねてある麦のそばにごろりと横になり眠ってしまいました。そこで、ルツはそっと忍び寄り、ボアズの足もとの覆いをまくって横になりました。 8 真夜中に目を覚ましたボアズは、びっくりして跳び起きました。なんと、足もとに女が寝ているではありませんか。
9 「だれだ、おまえは!」とボアズが問いただすと、ルツは答えました。「ボアズ様、私ルツでございます。どうぞ、神様の律法に従って私を妻にしてください。あなた様はその権利がある親類ですから。」
10 「ルツよ。あなたのようなすばらしい女性は見たことがない。こんなにまでしてナオミに尽くしているとは。貧しくてもまだ若いのだから、若い男に心をひかれても不思議ではないのに、そんな気持ちよりも、買い戻しの権利を持つ私と結婚してナオミのために世継ぎを残そうというのか。 11 ルツよ、何も心配はいらないよ。望みどおりにしてあげよう。あなたがすばらしい女性だということは、だれもが知っているのだから。 12 ただ、一つだけ問題がある。確かに私は近い親戚には違いないが、もっと近い親戚がいるのだ。 13 とにかく今夜はここで休みなさい。朝になったら、その人と話をつけることにしよう。もしその人があなたを妻に迎えるというなら、そのようにしてもらおう。義務を果たさせるまでだ。だが、もし断ったら、私が責任を果たそう。今ここで、はっきり主に誓うよ。さあ安心して、朝までここで休みなさい。」
14 ルツは言われたとおりボアズの足もとに寝ましたが、夜明け前に起きました。ボアズが、「この打ち場に来たことをだれにも知られないように」と注意したからです。 15-18 「あなたの肩掛けを持って来なさい。」ボアズはそう言うと、しゅうとめへのみやげにと、大麦六杯をその中へ入れてルツに背負わせました。こうしてルツは町へ帰りました。
帰宅すると、ナオミが「どうだったの?」と尋ねました。聞かれるままにあったこと全部を話し、ボアズから受け取った大麦を渡しました。そして、「何も持たずに帰ってはいけない」と言ったボアズのことばも、忘れずに伝えました。ナオミはうなずきました。「そう、ではどうなるのか、何か知らせがあるまでおとなしくしていましょう。ボアズさんのことですもの、決着がつくように最善を尽くしてくださるわ。きっと、今日にもめどをつけてくださいますよ。」
突然の婚活か、という風に読むと、常識的な感覚を逸脱したもののようにうつります。
実際、ひさびさにこのルツ記をしっかりと読むと、ボアズの寝床に忍び入るようなルツの姿は、危なっかしさすら感じました。一見、誘惑のように見えるからです。
しかし読み進めると、そこにははっきりとした信仰の基礎があることが露わになってきます。そしてボアズは、突然の求婚を受けた立場なのですが、いわゆる”弱さ”ではなく、信仰でこたえます。
私には心に傷のようなものがあります。美し気に言えば「青春の一ページ」なのでしょうが、私には何十年経っても傷跡として残る出来事ということです。
大学生の頃、恋焦がれた女性がいまして、ある夜に彼女の方からのアプローチを受けました。それは、性的なアプローチでした。私は当時、全く真面目さの無い人間でしたし、神を信じていたわけでもないのですが、そういうことには奥手と言うか、「ちゃんとつきあってから・・・」みたいなものが自分にあり、あえて冷めるような話をし始めて拒絶したのです。
その女性の事を私は本当に好きでしたから、欲望の成すがままにすれば、願望は叶えられていたのだと思います。しかし、そこはブレーキを踏みました。
「据え膳食わぬは男の恥」などという事が、おそらく今でも言われると思うのですが、私はその据え膳を食わなかった、恥ずべき者になりました。もちろんそれは、信仰から見ると、とんでもない罪性を帯びた価値観です。
この出来事以降、私は彼女から相手にされなくなりました。そんな中でも、半ば無理矢理に彼女を待ち伏せするようにして交際を申し出たのですが、もちろん断られました。
ちなみに、そのことを機会として、私は恋愛よりも部活に真摯に取り組むようになりました。その女性の事を忘れたかったのです。
チーム練習の他にも個人練習の時間を作り、激しく取り組みました。その結果、とは言えませんが、そういうこともあって卒業後はその競技で、国内のトップレベルでの環境に進むことが出来ました。やがて栄誉も受けました。
それら含めて青春の一ページですが、私には「あの夜」は苦味でもあります。
ルツの行動から、なんとそんな過去体験を思い出したのですが、私が感じたことは、神と言うお方は、私が神を知りもしない信じもしない時から既に、備えを作っておられたということです。
そして、その備えによって今日、私はこのルツの記録を現実感を照らし合わせながら読むことが出来ます。これは誘惑などではない、という。
もちろん、神のご計画はそれだけではないでしょうが、神がその主権の中で、ご計画を着実に実行されるお方であるという視点で読むことが出来ます。
そして、私個人としては、あの苦味からの解放も受け取ることが出来ます。
「あのとき歴史は動いた」というテレビ番組が好きでよく録画して見ていたものですが、私にとって「あの夜」はそのような意味があったと今思います。
欲望のままにふるまっていたら、この人生は無かったのではないかと思います。私は意図しないところで、苦味のある人生を選択したのですが、その道でなければここには来ていないということです。
私にとってこれは解放です。道がまっすぐであることを確認するようなことです。
そして、ここからもっと悟らされるのは、ボアズの応答です。
ボアズは立派な人間であったと思いますが、仙人ではなかったでしょう。
欲望のままにふるまうことも出来たはずですが、それよりも先だったのは神の存在、信仰でした。これが本物の「そのとき歴史は動いた」です。
ダビデもイエスもここから出ていることを忘れてはいけません。
感情や欲望に翻弄されるのではなく、神に従うところに、まっすぐな道が開けたのだなあと思うのです。
今日、感情や欲望ではなく、信仰で応答する一日にしたいと思います。
漠然としていますが、心当たりがあります。