17 こうしてルツは一日中、そこで落ち穂を拾い集めました。夕方になって、集めた大麦の穂を打ってみると、なんと一エパ(二十三リットル)にもなりました。 18 それをかかえて町へ戻り、しゅうとめのナオミに見せ、また、昼食の残りも差し出しました。

 

19 「まあ、ずいぶんたくさんだこと!」ナオミは思わず声を上げました。「いったい、どこで拾って来たの。こんなに親切にしてくださった方のために、心から主に感謝しましょう。」ルツはしゅうとめに、ボアズの畑に行ったことなど一部始終を話しました。 20 それを聞いて、ナオミはまたびっくりし、「ボアズさんですって! 主よ、ありがとうございます。神様のお恵みは、あなたが夫を亡くした時に終わったんじゃなかったのだわ。お恵みはずっと注がれていたのだね。だって、その方は一番近い親戚の一人なんですから。」

21 「まあ、そうですの。あの方は、刈り入れが全部終わるまで、毎日、落ち穂を拾い集めていいとおっしゃったわ。」

22 「それはよかったこと。それじゃおことばに甘えて、刈り入れの間中、あの方のところで若い女たちといっしょにお世話になりなさい。ほかの畑に行くよりずっと安心よ。」

23 こうしてルツは、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで落ち穂を拾い続けました。

 

義母ナオミをなんとかして守ろうと言うルツの誠実さが勤勉さにもつながっていました。

そのルツに特別な待遇を与えたボアズですが、ナオミの系列で一番近い親戚であったのだと。ナオミもルツもボアズも信仰者ですが、ここに神のご計画を強く感じることが出来ます。

 

今日のみことばでは、ナオミの信仰が視点の中心に置かれているようにも読めますが、彼女に「神の恵みは終わった」という思いがあったことは、私にとっては、神からの投げかけを悟るべきところです。

 

何も心配しなくていい、いつも平安の中にいる、恐れるものは何もない・・・私には、そのような姿がクリスチャンのあるべき姿として刷り込まれているように思います。

ところが、私は心配性で恐れを持って生きているタイプですから、そのことについて、時には落胆することがあります。

ただ今日のみことばで、ナオミに「神の恵みは終わった(なあ)」という思いがあったということがわかりました。このことは、視点、注意点の移動を促さされるものです。

それは、移ろいやすいヒト(自分を含めた)の感情ではなく、微動もしない神の愛、神の守りに集中していくということです。そして、そこから神のご計画もまた揺らいでいない→めぐみはめぐみ、必要を越えて溢れるほど注がれということを悟るべきなのだと思います。

ボアズがルツに現れたことと、そこで受けためぐみから、ナオミに開かれた神への視点を強く感じるみことばでした。

 

今日のみことばの最後のナオミの発言からは、その視点の先にある、本当のクリスチャンのあるべき姿へと前進させられます。

差し出されためぐみに対して「おことばに甘える」「ほかの畑より安心→ほかに行く必要がない」という応答です。

感情が揺れてしまったとしても、神の愛が揺らいでいないこと。神のめぐみは終わっていないことを心に覚えて、一日を始めたいと思います。

 

今日の適用は、もう一つレイヤーがあります。「ほかの畑」つまり、今やろうとしていることをそのまま続けること、を実践事項にしたいと思います。