主はすばらしいお方です。
栄誉と尊厳をまとわれたそのお姿は、
なんと威光に満ちていることでしょう。
あなたは、天には星をちりばめ、
3 地表のくぼみには海原を創造されました。
雲の馬車に乗り、風の翼でかけ抜けられます。
4 その前ぶれを務める天使は、
風のように速い、炎の使者です。
5 大地はくずれ落ちることのないように、
しっかりと据えつけられました。
6 また、山々をのみ尽くすほどの大洪水で、
大地は覆われました。
7-8 あなたのひと声で、
水はたちまち広大な海の底に吸い込まれ、
山々は姿を現し、
谷はあなたが定めた高さまで沈みました。
9 あなたはまた、
海水が二度と地表を
覆うことのないよう、
境界線をお定めになりました。
やや軽い感覚で言えば、自然をどう見るか、が今日のみことばから来るものです。
米カリフォルニア州とネバダ州の境目にあるデスバレーという所に行ったことがあるのですが、別世界かと思う程にその自然の在り方に圧倒されたことを覚えています。
「大自然」とよく言われるところの一つですが、その背後におられて、今もおられて、それを創造された主を覚えることは、神の愛の根拠とその表れであるキリストを明確にさせる方法だと感じました。
自然環境すべてが人のために創造されたものと言うのはちょっと言い過ぎですが、その中心の存在として人を据えられたとは言えます。ここに、壮大な大自然と人の結びつきが、神によってデザインされていることを覚えるのです。
特に今日のみことばで心がぐっと持って行かれるのは、神が「ことば」で創造されたことの思い出しです。
一生懸命手作業されたのではなく、AIへのプロンプトの如くことばだけで創造されたのですから、自然どころかこの宇宙の全ての仕組みが神の主権によるものであることを覚えれば、神をおそれずにいることは不可能です。
そして、その神の庇護に入ることがどれほどのことかという「自分事」にまで落とし込むことが出来れば、それはもう感謝しかないですし、まだまだこの神に向かって関わっていこうという願望が起こってきます。
イエスを信じるということは、しんどい気持ちのまぎらわしでもなく、気休めでもなく、また習慣でもまじないでもなく、この全てを創造してコントロールされる根本のお方に気づいて頼ることです。
しかも、そのオファーは神側から差し出されているのですから、人はそれを受け取るだけです。資格もなければ審査もない。ただ、信じて頼ることです。
イエスに近づいた百人隊長は、自分のしもべの癒しをイエスに求めるにあたり「ただおことばをください」と願いました。
その信仰をイエスは褒めましたが、百人隊長がイエスをどのような存在として認識して求めたかがわかります。
大気の微粒子の一つ一つは普通には見えないものですが、これらの全てを支配されている神、それをおことば一つでコントロールされる方を、あらためて信じて頼る一日にします。