1 私たちは、
どんなものにもまさる神によってかくまわれ、
この全能のお方のふところに住んでいます。
2 私は宣言します。
「神こそ私の避難所、また安全地帯です。
この神への信頼を失うことはありません。」
3 主はどのような罠からもあなたを救い出し、
いのちを損なう病からも守ってくださいます。
4 主の翼の下に、あなたはかくまわれるのです。
また、主の変わることのない約束が、
あなたのよろいとなるのです。
5 ですから、もう暗闇を恐れることはありません。
真昼の襲撃にもおののくことはありません。
6 暗闇に乗じてはびこる疫病も、
明け方を襲う災害も恐れるに足りません。
7 たとえ千人がそばに倒れ、
一万人の死体があたりを埋め尽くそうと、
悪い者が私に触れることはありません。
8 私はただ、悪者が罰せられるのを
眺めていればよいのです。
9 私には、主という避難所があります。
私はこのお方を、
すべての神々にまさる神として選びました。
10 ですから、災難に見舞われたり、
病にかかったりするはずがありません。
11 神が御使いたちに言いつけて、
行く先々で守ってくださるからです。
12 山道でも、石につまずかないように、
手で支えてくださいます。
13 ライオンに出くわそうと、毒蛇を踏もうと、
恐れずに踏みにじることができるのです。
14 主はこう言っておられます。
「わたしを愛する者を、救い出そう。
わたしを信頼する者を偉大な人物にしよう。
15 その者が呼べば答えてやり、
苦しんでいる時にはそばにいる。
その者を救い出し、誉れを与えよう。
16 わたしは彼を救って、充実した人生を送らせよう。」
イエスにある永遠のいのちに入ることが出来るというのは、夢のような、この上の無い祝福ですし、それだけでもう十分であとは何も欲しいものはない、と考えるようにはしています。
しかし私にとってこの世で生きる道は、まだ沢山の苦難があって、何の心配もなく恐れも無く日々を暮らせているわけではありません。
「私たち」という語り出しに込められているものを汲み取ると、この詩編91は、神を信じる者がこの世を生きる事に対する励ましに満ちています。
神を信じる者は、苦しみや痛みに耐え続けて天に至るのではないのだと、明確にされています。
災難や病にあう”はずがない”というのは、読み方として聖書全体の意を汲まなければ勘違いしてしまうところですが、災難や病にあってもそれは神の守りが離れているのではなく、そこからも守られると受け取っていくべきでしょう。
最近、ずっと思う事は、訓練の必要です。
この神の守りは、信じる者にとってはオートマチック→神が能動的にしてくださるものと取ってよいと思うのですが、実は、この世で生きる間、このシェルターから知らず知らずのうちに出てしまう危険が常時存在しているということです。
それが罪を生み、落胆を生み、神から遠ざけられることになってしまいます。
このシェルターから出ない訓練と、出たらすぐにわかって戻る訓練です。ここだなと。
イエスを信じる「私たち」は、いつの時もイエスから出ずにいること。
しかし、出てしまうものですから、すぐに戻ること。ペテロが流した涙を忘れるべきではありません。
それを、規則的に点検する訓練が必要だということです。
今、チャレンジを受けています。
根源的には、神の守りがあることを忘れずに、定時の祈りを実施したいと思います。
「充実した人生」の約束がここにあると思いますから。