15 ですから、預言者ダニエルが語った、あの恐るべきもの(ダニエル9・27、11・31)が聖所に立つのを見たなら〔読者よ、この意味をよく考えなさい〕、 16 その時は、ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい。 17 屋上にいる人たちは、家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。 18 畑で仕事をしている人たちは、着物を取りに戻ってはいけません。
19 このような日には、妊娠している女と乳飲み子をかかえている母親はたいへん不幸です。 20 あなたがたの逃げる日が、冬や安息日にならないように祈りなさい。 21 その時には、歴史上、類を見ないような大迫害が起こるからです。
22 もし、このような迫害の期間が短くされないなら、一人として救われないでしょう。だが、神に選ばれた人たちのために、この期間は短くされるのです。
23 その時、『キリストがここにおられるぞ』とか、『あそこだ』『いや、ここだ』などとうわさが乱れ飛んでも、そんなデマを信じてはいけません。 24 それは、偽キリストや偽預言者たちです。彼らは不思議な奇跡を行って、できることなら、神に選ばれた者たちさえ惑わそうとするのです。 25 いいですね。よく警告しておきます。
26 ですから、だれかが、『メシヤがまたおいでになった。荒野におられる』と知らせても、わざわざ見に出かけることはありません。また、『メシヤはこれこれの所に隠れておられる』と言っても、信じてはいけません。 27 なぜなら、メシヤのわたしは、いなずまが東から西へひらめき渡るように戻って来るからです。 28 死体がある所には、はげたかが集まるものです。
クリスチャンにとって厳しい時代は確実におとずれるようです。
ただこのこと全体として言えるのは、そういう苦難にさえも、神の御手が及んでいるということです。
現代はその終末時代の始まりなのかという話があるのですが、確かに、世界中で起きていることや様子からは、そういう風にも思えてきます。
しかし、それを理由に特別に何かをするというよりも、終末時代の始まりであるかないかに関係なく、神に更に近づき、神を見つめ続けることが、最も大事なことであり、神の御心であると思うのです。
もちろん、今日のみことばの時に、聞いている人がどう受け取ったかはまた別の話ではあります。
戦争が増えてきました。ウクライナ、イランは軍事大国が直接関わっているものです。
この状況をして、本当に神はおられるのか、と疑う人もいるかも知れませんが、神は、どのような状況にも強く関与されています。今日のみことばからは、そのことを希望的に捉えることが出来ます。
ヨブの苦しみは、聖書の中でも最も悲惨なものの一つであるように思っています。
しかし、神は悪に対して一定の自由度を与えたことが、あれの直接原因です。つまり、神がヨブに対して実行されたご計画なのであり、ヨブを見放されたわけではなかったのです。
あの悲惨な状況でさえ、神は働いていてくださった。この希望を忘れないようにしたいです。
そして、イエスがここで名言されている、再臨の時の状況も希望です。
来られたかどうかわからない、というようなものではなく、はっきりとわかる形で来られるということです。
今日のみことばからは、「大事だ」とされているのですから、ダニエル書に記される「逃げなければならない状況」をよく覚えておくことにしました。
それは、「異教によって神殿が支配され、礼拝することが出来なくなること」です。
これで一目散に逃げなければいけないのは、ユダヤにいる人たちです。しかしそれがサインになるということです。