1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 —このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。—
3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
10 もし、罪を犯していないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
まず、
交わりを保つこと
そして、
自分の罪を言い表すこと
交わりの中で自分の罪を言い表すこと、ととらえてしまいそうだが、そういうことに限らないだろう
光の中を歩くとは、私に本当に必要なものだと思う
これは、今日からはじまる今年のチャレンジと捉えていきたい
交わることによってきよめれる
とは、そのままの事として受け止める一方、そうなるには、自分にある影や闇の排除が事前に求められるはずだ
私はそこまで影も闇も持たないが、その感じはわかる
光の中に入れということだ
罪の同じ影や闇にそれを葬ろうとするな、だろう
神に言いあらわすこと
これは、聖書の普遍とも言える
光の中を歩くとは、そういう影・闇からの脱却なのだが
これはつまり、完全に神への依存と言える
なぜなら、きよめも赦しも神から出ることであり、光もまたそうだからだ
光の中を歩むとは
影と闇からの脱却と捉え、学ぶだけではなく実践していこう