14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」

15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」

16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもに十分ではありません。それに、谷間に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」

17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。

18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」

 

民衆の不平不満はモーセ時代にあったが、神にお伺いを立てた

エフライムの不満にヨシュアはお伺いを立てずに指図した

これ、私には明らかに対比的な構図に見える

 

どちらが正解とか間違っているとかではなく

イスラエルが前進していった結果としてもたらされる現象ではないか

モーセは明らかに間違っていない:不満への対処で神にお伺いを立てたケースは「良い」とされている

ヨシュアは、不満に対して神が言われたことをそのまま即答している

 

信仰の前進・成長とは、神がご自身のみこころを信じる者へと少しずつ信託してくださることを含んでいるのではないか---自信をもって「そうだ!」とは言えないが

 

モーセがカナンに入ることが出来なかった理由との関連は?

わからないが、ヨシュア型に成長すべきであることは、そのリーダーの継承が物語っているように思える

 

カナンは戦地であることを考えると、その答えはうっすらと見えてくる気がしている

戦争は戦地判断が必要、ただ信仰に任せて前進が求められる戦闘だった→それがカナンでのブレークスルーだった---強くあれ、雄々しくあれ

これは、モーセが置かれていた状況とは総じて異なるもので、現地判断が必要なリーダー(強く雄々しい姿にあらわれる)が求められていた

モーセ→荒野でのキャラバン型:南極探検隊のような?

ヨシュア→カナンでの戦闘型:軍隊のような?

 

もっと言うと、信仰とはそういうものになっていくのではないか

ただ、これ以上考えを進めるのはやめようと思う

間違った方向に突き進むと大変だから

 

今日の適用は、不満があるなら自分で行動する、とした

仕事上での不満、というか不安あり

私は信仰者で既に祝福されているのだから、結果はさておき自分で何かを動かすだけの価値がある

祈って動くが、ここは、信じて動く

不安なら自分で