1 私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。
2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」
3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出ていくのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」
4 「わたしが、それを出て行かせる。―万軍の主の御告げ―それは、隣人の家に入り、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」
5 私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」
6 私が、「それは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡だ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」
7 見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた。
8 彼は、「これは罪悪だ」と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた。
9 それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。
10 そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」
11 彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」
さっぱり何のことかわからなくなりましたので、代表的な解釈を参照にしました。
巨大な巻物があり、しかもそれが飛んでいるとは、神の律法と神の監視、つまり、神の律法によって全ての人が裁かれるということなのだと。
またエパ枡と中に閉じ込められた女の意味は、罪悪が閉じ込められてシアヌル→バビロンへと運ばれるのだと。
これから、新しいイスラエルの歩みが始まるのですが、それにあたって神は、神の力によってイスラエルの罪の裁きとその隔離を言われていることがわかってきます。
これは、新生イスラエルがどのような国へとみちびかれていくのかということも言えると思うのですが、神によってきよめられた国、そういうイメージが浮かび上がりました。
イスラエルの人民がそれをやるのではなく、罪の定めも隔離も、神がなさるということもまた抑えておくべきところです。
私は、なぜ”エパ枡”なのかなと、これについて調べてみるとそれは商取引の象徴であるとのこと。つまり、商売のことです。
商売そのものについて悪であるとは思わないのですが、危険性はあります。
それは、商売をすることによって糧を得ていくところことを遥かに超えて、ただ金のために生きるようになってしまうからです。
それについての悪さ加減はさておき、神はイスラエルの回復に際し、これを隔離されたというその御心を、霊的イスラエルと言えるクリスチャンである私自身もまた、しっかりと心に据えておくべきだと思うのです。
君主制イスラエルの時代、それは霊的王の時代から世的王の時代へと明確に変貌していきました。
霊的王はダビデです。ソロモンも当初は霊的であったと言えるかも知れません。
しかし、ソロモンはその生涯の中で、霊的から世的にシフトしたのです。
私はこのことから、神が罪悪に女が中にいるエパ枡をバビロンに隔離された意味合いが伝わってくるように思うのです。
状況は、何もない荒廃の極みにあるエルサレムですが、ここに商売と金とか、そういうものの繁栄の基礎ではなく、霊的基礎を築かれるその意味合いです。
自分の祈りを考えてみます。
その基礎になる部分に、もしも生活が良くなることとか、楽して暮らすことになってはいないかと。そこに本心が出てきますから。
私の中に確かにあるエパ枡、罪悪の女が入ったエパ枡の隔離を求めたいと思います。