1 私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱があった。

2 私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」

3 私と話していた御使いが出て行くと、すぐ、もうひとりの御使いが、彼に会うために出て行った。

4 そして彼に言った。「走って行って、あの若者にこう告げなさい。『エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。

5 しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。―主の御告げ―わたしがその中の栄光となる。』

6 さあ、さあ。北の国から逃げよ。―主の御告げ―天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたからだ。―主の御告げ―

7 さあ、シオンにのがれよ。バビロンの娘とともに住む者よ。

8 主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。

9 見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちのとりことなる』と。このとき、あなたがたは、万軍の主が私を遣わされたことを知ろう。

10 シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。―主の御告げ―

11 その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。

12 主は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」

13 すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから出て来られるからだ。

 

城壁が破壊されたままで、丸腰の町のままであるエルサレムですが、神がその城壁となられることが預言によって宣言されています。

 

後に、この城壁は再建されるのですが、霊的な守護の壁が築かれるずっと前に、霊的基礎として神による火の城壁が築かれていることを知らせる、とても重要な預言です。

 

私がこれで真っ先に疑問を持つのは、とは言え、イエスが上がられてからしばらくして、イスラエルは滅ぼされたよな。。。というものです。

 

しかし、それには答えが用意されています。

 

11節

その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。

 

物としての城壁が破壊されていたこの時に、神が火の城壁となられたのは、これは、イスラエルの地を守るためのものと言うより、目に見えない霊的なものであり、何を守っているのかと言えば、それは「主につく多くの国々の者」ということなのだということが見えて来ます。

 

つまりこれは、当時の現代預言でありながら、未来預言でもあり、この城壁というのは、イエス・キリストと深く関わるものであると察知することができます。

 

イスラエル人ではなく日本人の私も、神の民となれること、霊的エルサレムに入ること、そこに住むこと、そして守られること。

こういうことにつながってきます。

 

歴史小説の一場面でも、他人事でもなく、いっきに自分の話が含まれた預言書であることに気づかされます。

 

イエスが来られ十字架にかかられてから約30年後に、国としてのイスラエルはローマ帝国に再び滅ぼされますし、神殿も何もかも、またもや破壊されることになります。

そして、1948年に国家としてのイスラエルが誕生するまで、なんと1900年近くも国家の無い民として生きることになります。

 

しかし、霊的エルサレムとその城壁が築かれていたことは、イエスの現れとみわざによって成就していることを知ります。

そして、それから以降、国家としてのイスラエルの有無に関係なく、その霊的エルサレムに住もうと入る者、つまりクリスチャンが国家、民族に関係なく増え広がって今があることは、これは神が預言書を通じてよく言われる「わたしが神であることを知ろう」に相当する、壮大な証であると私は思います。

とても勇気が与えられることです。私も霊的エルサレムの住民、またはそこに帰属する者です。

 

今日のみことばからは、再び選ばれる、というところに希望を覚えました。

海外生活から日本に帰って来て、何か信仰の危機を覚えているというか、どうも心が騒ぐ日が続いています。

しかし、神の城壁がある限り、その内側に住まわる限り、セキュリティが強固であることをまずは信じることです。

そして、自分の中で起こる霊的なリバイバルの方向を向いていることが大事だと思います。神が、再び起こしてくださるからです。