1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。
7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
カリフォルニア州南部に住いながら、民主党ではなく共和党支持者の友人がいます。
退役軍人で、強い愛国心を持っています。
前回の大統領選挙では、共和党支持という理由でトランプ氏に投票しました。
しかしその後、実際にトランプ氏が就任した後の政策を見て、投票した事を後悔しています。
つい先日ですが、彼はこのように言っていました。
米国人はこれで勉強しているところだ、と。
4年間はトランプがこの国のキングになるが、大統領選だけが政治ではなく、国は選ばれた大統領によって大きくその方向が変わること。
民主主義は、自分たちのキングを選ぶ権利が民衆に与えられているが、一旦選ばれたからには嫌でも従わなければならないこと。
彼は牧師さんです。
このローマ人の手紙はローマ帝国時代のものですから、パウロが言う上に立つ権威というのは、あのローマの王です。
ですから、現代の米国や日本とは違う状況ではあるのですが、権威に従うということでは全く同じ事を指導しています。
権威は神の定めであるからとパウロは言うのですが、これを根拠づけるものは旧約聖書の根幹を成す、王政イスラエルやその滅亡と大きな関わりがあるように思えました。
あの初代王にして悪王であったサウルも、はじめは神によって油注がれました。
イスラエルを滅ぼした張本人と言える、バビロンのネブカドネザルも王が動かしたと言われています。
人とってだけではなく神にとって悪であったとしても、神がその御手を伸ばして王に据えておられる、或いは行動を見ておられる事例は多いのです。
もちろん、ただ言いなりになって神が定められる罪もろとも従うということではないとは思います。
しかし、その統治については従って納税して義務を果たせよと言っています。
つまりこれは、言わば国体とかの公民的秩序の維持です。
そういう意味で、現代版のそれと言える、現米国の共和党支持者の後悔は、確かに学びの機会と言えるのかも知れません。
どれだけ嫌であっても従う。ましてや、一旦は投票した人なのですから、従わなくてはならない、というわけです。
たとえ悪政の根源であったとしても、神がその権威を許された理由を汲み取ることが肝心で、神のお考えに期待して、つまり希望を持って従うことが、私には大事だと思います。
今日のみことばから、ルールに従う、秩序を守る、を実践したいと思います。
かなり幼稚な実践ですが、私はあまりルールを守れない人間です。
ルールを守ることそのものよりも、ルールの理由を考えて、問題なければルール違反であっても平気で実行するのです。軽いところでは信号無視とか。
一旦、そういうマインドを主にあって捨てるよう言われている気もします。これも高ぶりの一種でしょうから。
権威に従うとは、そういうことも含まれていると思います。
個人の正義とか悪を一旦置いて、権威者の考えに同調するということです。
本当に難しい課題ですが、信じて従う今日にしたいと思います。