17 人の子よ。自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに、あなたの顔を向け、彼らに預言して、
18 言え。神である主はこう仰せられる。みなの手首に呪法のひもを縫い合わせ、あらゆる高さの頭に合うようにベールを作って、人々をわなにかける女たちにわざわいが来る。あなたがたは、わたしの民である人々をわなにかけて、自分たちのために人々を生かしているのだ。
19 あなたがたは、ひとつかみの大麦のため、少しばかりのパンのために、まやかしに聞き従うわたしの民にまやかしを行い、死んではならない者たちを死なせ、生きてはならない者たちを生かして、わたしの民のうちでわたしを汚した。
20 それゆえ、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、あなたがたが、人々を鳥を取るようにわなにかけたのろいのひもに立ち向かう。それらをあなたがたの腕からもぎ取り、あなたがたが鳥を取るようにわなにかけた人々を、わたしが放す。
21 わたしは、あなたがたのベールをはがし、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。わなにかかった者たちは、もうあなたがたの手のうちにいなくなる。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
22 あなたがたは、わたしが悲しませなかったのに、正しい人の心を偽りで悲しませ、悪者を力づけ、彼が悪の道から立ち返って生きるようにしなかった。
23 それゆえ、あなたがたは、もう、むなしい幻を見ることができず、占いもできなくなる。わたしは、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」
自分の心のままに預言する女たちとは一体何者なのかと、色々と解釈を漁ってみましたら、占い師、という取り方が私には最もしっくりきました。
良いことを言うんですね、占い師というのは。
どんな根拠で言っているのか知りませんが、まるで自分が預言者のように「神からのことばを預かった」と言って、出て来るのはその人にとって良いことばかり。
或いは、悪い事を言って解決法を適当にこしらえたり。
全部、自分で考えてるだけです。
そういう女占い師が大勢いたのでしょう。
そのような占い師に対して、神は怒りを燃やされています。
何故なら、神からどんどん人々を引き離しているからです。
占い師の耳障りの良い言葉に騙されて、どんどん神から離れていく人が相次いでいたということでしょうね。
この当時、神の御心は、イスラエルの壊滅です。
それは、偶像礼拝によって荒廃しきったイスラエルを霊的に再建することが神の御心であったからだと思います。
しかし、偽物の預言者である占い師は「大丈夫、大丈夫」と言って、民が神へと帰ろうとする心を捻じ曲げていたのだと思います。
これ、現代にも通じる”罠”だと思います。
適当なまやかしを述べて金儲けをする占い師だらけです。
それによって、一時的な精神的安らぎは、むしろ良い事だとされる世の中です。
しかし、占いによる虚言から得られる安らぎは、一時、瞬時のものであり、それがその人を救うことはありません。ゼロ%です。
”罠”にかかって占い師の生活を救っているのです。本当の神の救いからは遥か遠ざかっています。
何らかの苦しみにある時、本当に頼るべきはジーザス、イエス・キリストです。
占い師ではなく聖書に表わされるこの神です。
人にとって最も避けがたい苦しみは、死であることが多いでしょう。その死をも克服されているキリストではなく、占い師の虚言を信じるのは不合理です。
神を認めなかった罪を悔い改めて、神を受け入れて、神に祈ることが大事です。
エゼキエル書で頻出するみことば「わたしが主であることを知ろう」という通り、神がおられることを知る事になります。
苦しみの中で、神に立ち返ることは、実際、私の人生を大きく違う方向へと変えました。
人生は道だと言えますが、向かう方向が変わることで道は変わるのです。
私が今日、自分が自分自身に対する占い師になっていないかを探られます。
何の根拠もない妙なプラス思考ではなく、神のみを根拠とした希望で生きているかどうかです。
自分の行く道を神ただお一人に置くこと。これを何らかの形で実践する一日にしたいと思います。