1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
2 それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、
3 カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。
4 私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。
5 その中に何か四つの生きもののようなものが現れ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。
6 彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
7 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。
8 その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。
9 彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。
10 彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。
11 これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。
12 彼らはおのおの前を向いてまっすぐに行き、霊が行かせる所に彼らは行き、行くときには向きを変えなかった。
13 それらの生きもののようなものは、燃える炭のように見え、たいまつのように見え、それが生きものの間を行き来していた。火が輝き、その火から、いなずまが出ていた。
14 それらの生きものは、いなずまのひらめきのように走って行き来していた。
時期はバビロン捕囚期の初期、場所はバビロンにあるケバル川のほとり。
ここで、神の聖と言ってもよいと思うのですが、普通には見えない天の姿の一つがあらわれています。
王政イスラエルが神の御心によって(ご計画の通りに運んで)滅んですぐの時なのですが、神の働きがイスラエルから去っていたのではないことがこれではっきりとしています。
エゼキエルの見たものの意味まではよくわかりませんが、恐れてひれ伏すべきものであり、地が天と同時に存在することを強く感じさせるものです。
今日の適用が難しいものです。ただ一つ、その神の聖のあらわれである4つの顔が、霊が行かせるところに真っすぐに行ったこと、これが何か今日の行動で指し示されてるように感じています。
今日は学術系のクリスチャンの方たちと昼食会があります。かしこまったものではなく、たまたま私の住居がその大学から徒歩圏なものですから、ある親しくしている方が呼んでくださったのです。
主に宇宙工学を専門とする人たちで、私とは全く無縁の分野ですしなんだか少し気が引けるのですが、思い切って→真っすぐに行ってみようと思います。
今日のみことばで最も印象深いことは、先述したように、イスラエル(ユダ)がバビロンに征服されるという憂き目にありながら、なんとそれが神の御心であり、ある別の一面ではこうして神の圧倒的な働きが脈々と力強く動いているということです。
何と言えばよいかわからないものですが、外見はボロボロの車でもエンジンは強力なままで、やがて来る発進に備えてブンブンエンジンを吹かしているような、そんな感じを受けます。
神は見えないところで、その途轍もない能によって今の世界を制御されています。
独裁者、それと思しきリーダーが林立し出して、世界的に価値の変動が起こってきています。これは偶然ではないことは、聖書をよく読めばわかることです。
特にこのエゼキエルの預言について、しっかりと聞く耳を持って、その聖を受けなければと思います。神は動いておられます。