コラの子たちの賛歌。歌
1 主は聖なる山に基を置かれる。
2 主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。
3 神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。セラ
4 「わたしはラハブとバビロンをわたしを知っている者の数に入れよう。見よ。ペリシテとツロ、それにクシュもともに。これらをもここで生まれた者として。」
5 しかし、シオンについては、こう言われる。「だれもかれもが、ここで生まれた」と。こうして、いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。
6 主が国々の民を登録されるとき、「この民はここで生まれた」としるされる。セラ
7 踊りながら歌う者は、「私の泉はことごとく、あなたにある」と言おう。
聖書では、何のことだかわからない箇所がよくあるのですが、そういう時は、いくつかの信頼のおけるサイトを訪れて、どういうことかを教わるようにしています。
ただ、その前に何をそのみことばから受けるのかがとても大事なことだと思っています。
昨日、知っていることと信じるこの差異があると示されていたのですが、今日のみことばもまた、そういう内容であると思います。
神に敵対するラハブ、バビロンやペリシテ、ツロ、クシュだって生まれは神の都エルサレムやその周辺で、神を「知っている」。
しかし、神を知っているのではなく、信じている者=踊りながら歌う者は、みなシオンで生まれたわけです。これ、感覚的にものすごく馴染みますね。
シオンはエルサレムを指しますが、神を信じる者は母の胎盤から出た出生地がみなエルサレムなわけがありません。
つまり、それは霊的な生まれを指していることがわかってきます。
場所じゃないってことですね。
このことは、凄く励みになることです。
特にジーザスが来られる前の時代の事については、アブラハム・イサク・ヤコブの神、イスラエルの神、という地域とか民族の神であるイメージがちょっとついてまわります。
しかし、既にここで、地理的には神はグローバルであられることが語られているのだと思います。信じるなら、それはシオンの生まれなのです。
アブラハム契約は確かです。
そして更に思いめぐらしたのは、やがては新しいエルサレムに帰るということです。
私は日本生まれ、大阪の田舎の方での生まれですが、死んだ魂がそこに帰っていくというようなおとぎ話ではなく、霊的な出生地であるエルサレムが、恐らく地理的にも現在のエルサレムに降りてきて、私の魂ではなく、今度は新しい肉体でそこに帰っていく・暮らすということです。大阪には帰りません。
まあ、いつものように、勝手に思いめぐらしが爆発してしまうのですが、私も今、大きな声で言いたいと思います。私の生まれはシオン、ということを。生まれもまた大阪ではなくシオンです。