アサフのマスキール
1 私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。
2 私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。
3 それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。
4 それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。
5 主はヤコブのうちにさとしを置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。
6 後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、
7 彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。
8 また先祖たちのように、彼らが、かたくなで、逆らう世代の者、心定まらず、その霊が神に忠実でない世代の者とならないためである。
現在お世話になっている教会は100年以上の歴史があり、しばらくすると記念のイベントが開催されます。
牧師さんは、このイベントについての意義を語る上で、今日のみことばにも登場する「伝承」を非常に強調してメッセージしてくださっています。
そんなことで、私は新しくこの聖書で言われるところの伝承について、多くを気づかされているところです。
神がくださる救いは、私個人の救いではあるけれど、その救いにはメッセージが込められているのだなあ、と。
聖書は、ジーザスを信じる者には永遠のいのちがあるということを気づかせるものですが、その聖書の機能に一体化していくような感じ。ちょっと表現がおかしいのですが、救われた私自身が聖書の役割を担っているような、担いなさいと言われているような、そんなメッセージなのです。
というのは、神はやはり、私個人、クリスチャン個人の救いの一方で、人類を一つの群れと見なしてそれ全体を、救おう、祝福しよう、とされていることがだんだんとわかってくるんです。
個人の目線からそれを見ると、じゃあ過去の人の生死、未来の人の生死、ということでは自分自身とは関係ないもののように思えます。人類は、私個人とはちょっと違う単位なんだと。
しかしこれは、この世で生きている間だけが大事、という考えにもつながってしまうように思います。残念ながら、私はそういう考えを潜在的に持っていますね。
しかし、永遠に存在されている神からの目線を想像すると、私が罪について悔い改めたことを喜んでくださっているのは間違いないのですが、人類の救いのビジョンをお持ちなのですから、「ああきっとそれだけじゃあないわな」とすぐに気づくわけです。私のこの世で、今の世で、救われる意味、神との関係、メッセージです。
私は救いと同時に、伝承のミッションを背負っているのです。次の世代の救いのために、しっかりと福音をリレーしないといけないということです。御心です。
キリストが再び来られるその時まで、まるで聖火ランナーのような、言わば福音ランナーの責任を負っているのです。私だって、誰かから引き継いでもらったんですからね。
そのことを含みながら、今日の「アサフのマスキール」を読むと、これはぐっと迫って来られますね。
マスキールというのは指揮の意味だそうですが、なんだか力強いものを感じます。
サムエルを最後に、霊的指導者によるイスラエル全体の指導は終わりました。
サウル王による王政支配が始まります。
その初代王サウルから早速、神から離れようとする動きが始まってしまうのですが、その次の王ダビデによっては、王政時代における、イスラエルの神の信じ方の型は、ダビデと言うリアルな理想像によって示されていたように思います。
しかし、イスラエルが国として繁栄していく一方で、ダビデとソロモンの初期から以降、ロクな王が出てこないのです。
非常に個人的な現状の考えで、正解なのかどうかの自信はないのですが、王政イスラエルに不足してしまったのは、伝承であると思っています。
王は、自分が生きている間の業績とか栄華とか、そういう自分の偉大さを現わす遺産を残そうとするものです。
しかし、最も大切な、イスラエルがイスラエルであるアイデンティティ、神が何をしてくださったか、どんな素晴らしいお方が、どのような約束をしてくださっているのか、その約束のうち何を実現してくださったか・してくださるのか。
ほとんどの王はそれを無視してしまったのだと思います。自分の偉大さに夢中になるあまり。
結果、王政イスラエルは滅びました。
この滅びを伝えることもまた聖書のその伝承の役割の一つでしょうが、私にもまた担わならない一つです。
このアサフのマスキール・指揮は、神を後世に伝えていくということを読む者に刷り込んできます。
方法は、まさにその通りでよいと思います。
私(or あなた)が聞いて知っていることを誰かに伝えるだけです。
それを聞いて信じるかどうかとか、それに対する相手の反応をコントロールしなさいとは言っていません。
伝承とは、聞かせることと、それをさらに誰かに引き継がせることとしてよいでしょう。その内容として、福音は完璧なのです。
今日、ほんの少しでもそれが出来るように。
「私は実はクリスチャンです。」それだけでもよいですし、そこから始まる伝承は結構あるものです。