指揮者のために。弦楽器によって。アサフの賛歌。歌
1 神はユダにおいて知られ、御名はイスラエルにおいて大きい。
2 神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオンにある。
3 その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれた。セラ
4 あなたは輝かしく、えじきの山々にまさって威厳があります。
5 剛胆な者らは略奪に会い、彼らは全く眠りこけました。勇士たちはだれも、手の施しようがありませんでした。
6 ヤコブの神よ。あなたが、お叱りになると、騎手も馬も、深い眠りに陥りました。
7 あなたは、あなたは、恐ろしい方。あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。
8 あなたの宣告が天から聞こえると、地は恐れて、沈黙を守りました。
9 神が、さばきのために、そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、立ち上がられたそのときに。セラ
10 まことに、人の憤りまでもが、あなたをほめたたえ、あなたは、憤りの余りまでをも身に締められます。
11 あなたがたの神、主に、誓いを立て、それを果たせ。主の回りにいる者はみな、恐るべき方に、贈り物をささげよ。
12 主は君主たちのいのちを絶たれる。地の王たちにとって、恐ろしい方。
神は、恐ろしい方。
この聖書の神は恐ろしい方、ということです。
それがこの76編の全てではないですか。
私なんかは、こうして朝のQTの時間で色々な示唆を神から受けながら、仕事がはじまると、人間同士の戦いとか、競争など、人間関係の中でのせめぎ合いが全てだという錯覚に、あっと言う間に流されてしまいます。
しかし、どれだけその人間同士の戦いの中で優位に立とうが、または、立たれようが、本当に恐れるべきは神ただお一人であることをもっと知るべきです。
恐れ。私は恐れる者です。
例えば、今、何を恐れているかと言うと、今週末にある方と車で遠いところまで行くことになっています。
何時間も車の中で共にすることになるんですが、その人は英語で喋る方で日本語は全く喋れません。
私は多少は英語はわかりますが、ほぼだめです。その人との関係が悪くならないかなあ、という恐れ、というか不安があるんです。
他にもあります。
仕事ですが、来月は、私が企画したイベントがあり、うまく行けば売り上げが上がりますが、そうでなければ経費ばかりがかさんでしまうことになり、経営がしんどくなることが目に見えています。
うまくいくかなあ、どうかなあ、と恐れているのです。これも不安です。
他にも、恐れ、心配はありますが、どれも人間関係に関係するものです。
人間関係のせめぎあいに関してのものばかりではありませんが、最終的にはそれに関連してくるものではあります。
今日、私が受けるチャレンジは、そういうものの前に、神を恐れよ、です。
神様って恐れるもんなの?という質問が飛んできそうですが、私は恐れて間違いの無いお方、であると考えています。恐れないことが間違いである、と言ってもよいかも知れません。
この間違いの無い方をまず恐れ、その恐れに満たされれば満たされるほど、今、私が恐れている人間関係に根差した恐れは、小さくどうでもよいものになっていきます。
不思議ですが、神への恐れは、一種の媒体のようなものであり、恐れを介して神に近づけるものなのかなあ、と思います。
恐れて離れるのではなく、恐れることによって近づく一日にしたいと思います。