1 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした

2 イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。

3 なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。

4 そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」

5 そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。

6 すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、

7 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。

8 もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

9 ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。

10 しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた

 

昨日の復活祭礼拝は、これまで私が経験した中で最も喜びのある一日であったかも知れません。それは、イベントの規模とか、礼拝式のスタイルとか、賛美の素晴らしさのようなものではなく、ジーザスの復活を喜ぼうというその気概のようなもの、喜ぶぜ!というパワーが教会全体にあって、そこに私も加わっているような私自身もまたそういう力を前に進める一人になっているような、そういう感覚で溢れていたからです。

 

今日、また通常のQTに戻ったのですが、ここで記されているエジプトを脱したイスラエルの民衆の方向性は、私が昨日感じたものとは真逆であるように思えました。そこには、恐れがあります。

 

でも、私は彼らの気持ちがすごくわかります。自分自身が「面白くないなあ」と拗ねてしまうというわけではなく、大事な家族まで、妻子まで取り上げられたり殺されたりするなら、「前の方がマシ」じゃないか、という嘆きに陥っているのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている ヨハネ16

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

出エジプトの時代、まだジーザスは復活されていませんから、このみことばは今ほども励まされないかも知れませんが、ジーザスを信じた人、例えば私が、新しく、素晴らしく、美しい人生の冒険に飛び出せているのに「前の方がマシ」だという一種の信仰の危機にさしかかっている時には、このみことばは最もパワーがあるのではないですか。

人として来られたジーザスが、”時”を迎えて恐れにもだえられた末、ついにこの宣言に至られたみことばです。

 

昨日のメッセージで牧師さんがこちらをメインで扱ってくださって、私は本当に刷り込まれているから余計にそう思います。

 

ただ当時も、イスラエルの民衆をみちびいていたのは、当時の、世に勝ったどころか、負けたことなどない神ご自身であったのですから、そもそもジーザスが語られた事と見える角度は違えど同じです。

 

ヨシュアとカレブはこの点において、聖書で言われるところの”全き”神の信仰者であることがわかります。

神のみちびきにあって「前の方がマシ」であるはずがなく、神が勝たせてくれるから「さあ行こうぜ」というメンタリティに溢れていました。

「さあ行こう」これが本当に答えです、正しさです、力です。

 

今日のみことばは、非常にシンプルですが、ちょっと探ればすぐに出て来る私の中の”恐れ”にがっちりとはまるものでした。

頑張りでも、気合でもなく、恐れる必要のないものは恐れなくてもよい、という理性に立ち返らせていただけるものです。

もちろん、恐れない、という事はゴールではありませんが、備わるべき霊性の一つと言ってもよいと思います。これをしっかりと持って今日を始めたいと思います。

恐れなくてもよいものを恐れない。

 

P.S.

昨日、祈りの奉仕に参加させてもらったのですが、同じグループになった方は、ユダヤ人のクリスチャンの方でした。なんと日本語を勉強しておられるという方で、リーダーが私たちとコーディネートしてくださいました。やがて来る、この世が終わりを迎える時、福音の拡散を大きく担うのは彼らです。日本語を勉強してくれているキリストを信じるJEW。何と言う希望でしょうか。