1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。

2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。

3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、

5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ
。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。

14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 

クリスマスの時に読まれるみことばとしてはかなりメジャーな箇所ですが、しっかりと噛みしめて読んでみると、いくつかのポイントが見えてきます。

 

ローマ、アウグスト帝下の治世で、住民登録のためにヨセフとマリヤはベツレヘムに上っていましたが、ここでイエスがお生まれになったということは、住民登録の対象になるということであり、何かこそこそとした説話、伝説の話ではないということ。

 

イエスは全ての民の救いの”しるし”としてお生まれになられたこと。

しるしとは、誰に目にも明らかにされるもの、わかりやすくされるものです。

 

救い主の生誕は、野宿をしていた羊飼い伝えられていること。

私は特にここに心が引き寄せられます。

 

羊飼いの職というのは、この時代の世では立派なものとされるものではなく、現代で言うところのガテン系、体力勝負のブルーカラーです。

 

貴族や豪商などの社会的に身分の高いところではなく、そのような羊飼いのところに知らせが届けられていることは、全ての民への知らせを意味していることがわかります。

 

実は、クリスチャンになってからですが、お金に困っていた頃にはダブル、トリプルで仕事をしていました。

贅沢を言っていられませんから、その一つはそういうガテン系で、夜中も寝ずに働くわけです。

 

こんな事を言うと失礼ですが、そういう仕事をしている人の中には、人生を捨てているような人もいます。働いて得たお金は、ギャンブルと酒に消えていくなんて人もザラです。

”昔の輝かしい日々”にすがりついている人もよくいました。なんだかちょっとわかる気がしました。私もそうだからです。

数年前まではドイツ製の車を運転したり、絨毯の上を歩くこともよくありましたし、ちやほやされるような時間を過ごしました。

しかし、今やそのような人がいてるだろう高級なホテルやマンションから光が漏れる道端などで、真夜中に仕事をしているのです。情けない気持ちになりました。

通行者に偉そうなことを言われたり、絡まれたり、そんなことも普通にありました。

つまり、私もそのうちの一人でした。

 

ただ、私には希望がありました。儚い夢のような希望ではなく、確信に近いものです。

 

私はイエスがどこに来られたのか、どこまでに来てくださったのか、恐らくそれを体験させられたのだと思います。

羊飼いに届いたあの知らせは、私のものです。

 

そして、そこには神からのメッセージがあります。次はお前が届けに行く番だ、というものです。私はあの光に照らされて、輝く存在にでもなったように思っています。

 

偶然にも、奇遇にも、もしこのブログを読んでくださった方に言いたいです。

もし、あなたさまが、何か光を求めるなら、既にそれがあることを知っていただきたいです。イエスキリストです。

この光は、高貴な人たちのためだけに来られたのではなく、あなたさまのために来られたしるしです。何のしるしかと言えば、神の愛のしるしです。

このしるしを信じるなら、あなたは救われます。

確かに神は愛してくださっているのだと、それを自分のものにするならあなたは救われます。

あなたは死んで終わりの人生から救い出されて、肉体は死んでも霊的に生き、やがてはまた肉体が与えらるというところまでの人生が与えられます。

それで人生が変わっていきます。

 

私は今、裕福になって毎日うまい物を食べる人生に変えられたわけではありません。

しかし、今は外国に来て良い体験をさせてもらい、50歳を過ぎているのに夢を持って生きています。しんどいこともありますが、明らかな喜びがあります。

死という寿命に向かっているというより、生に向かって走っています。

しるしを信じているからです。

 

あのしるし、神の愛、イエスを信じてください。

あなたさまがこれまでどのような人生を歩んでこられたに関わらず、イエスを信じるならば、新しい人生を歩みだすことが出来ます。

 

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。ヨハネ1:5