小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。

2 それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。

3 また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。

4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った

5 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった

6 すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。

7 第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現れ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。

8 第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。

9 すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた。

10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。

11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。

12 第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。

13 また私は見た。一羽の鷲が中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。

 

7つめの封印が解かれると、そこからいよいよ悲惨な事が起きます。

 

ラッパが与えられた御使いが順番にそのラッパを吹き始めるのですが、こうなるといよいよ神の裁きが近づいてきます。

地上、山、海、川、太陽や月も星も、そして自然光も1/3が喪失されます。

そうなると、当然多くの人が死にます。

 

そして、これが本当に恐ろしい光景だと思うのですが、鷲が叫びながら「わざわいが来る」と3度連呼し、あと3人の御使いがラッパを鳴らそうとしていることが知らされます。

 

このラッパが始まる前、”措置”を取っているところが、今日の適用につながる部分です。

われわれイエスを信じている者全ての祈りの香が天で立ち上るのですが、その煙の出どころである香炉が神の力によって燃え上がり、これを御使いが地上に投げつけるのです。

 

われわれイエスを信じている者、というのはつまり、本当に信じているクリスチャンのことですが、そのわれわれの祈りが地上に降り注ぐことが、ついに神の裁きの日が来ることを知らせる猛烈な災難がやってくる引き金になる、という風にも読めます。

 

このことについては、神のお考えやご計画がどのようであるかは私にはわかりませんが、現段階でよく考えておくことは御心ではないかと思います。

 

実は、今日のこのQTは長時間に渡ってしまいました。

聖徒の祈りの香が燃え盛らされて地上に投げつけられる。

随分と乱暴な状況なわけですが、ここにある神の御心は何なのだろうかと。

 

それで、祈りとはとは、神の怒りとは、とか、神の愛はとか、あれこれと考えているうち、えらく長い時間が経ちました。

 

結論、わかりません。

私は何を探しているのかと言うと、神の愛が全ての人に向けられている時間がいつまでなのだろうか、ということです。

 

神は怒りに遅いお方、ですが、遅いのであって、怒りの無いお方ではありません。

ノアの家族と1つがいの動物だけを残されて、あとの全ての生き物を消し去られた時、あれは神が怒りの鉄槌を下された時であったと思います。

ノアたちが、舟から出て地上に出る時、神はそれからはじまる新しい人の歩みに際して、二度と水で人を滅ぼさないと言われました。

その証文となるのが、虹です。

 

あれから既に何千年も経過していますが、この黙示録で記されているのは、次に神の怒りが降り注ぐ日のことと言って間違いはないと思います。

神はご自分を信じない者を、ついに”神の囲い”から排除されることになります。

それは、ノアのあの洪水よりも徹底されたもので、また人間の誰かが残されて新しい人類史が始まるなんてことはないはずです。

神からの愛を受ける、神の囲いに入らなければ、永遠の滅び、永遠の苦しみがあるところに放り出されるということです。神無き永遠です。

 

ですから、神がついに全ての人を愛されなくなることというのは大事なのです。

自分にとって大事に思っている人が、永遠に苦しむことが嬉しいでしょうか。

自分自身が、激痛を覚えて逃げることが出来ないところに行きたいでしょうか。

永遠に、です。永遠にというのは終わりがありません。

 

だから、何と言われようが、宗教にはまっていると言われようが、イエスを信じることだけが救われる道だという事だけは伝えなければならないのです。

まだ神が全ての人を愛してくださっている間に、手遅れになる前に伝えなければならないということです。

 

昨日、とある世界的に有名な観光スポットを車で通りすぎたのですが、大声を張り上げてマーチしているイエスの伝道ミニストリーの人たちがいました。

一部の人たちは白い目で見ているような感じでしたが、関係無いんです。手遅れになる前に、という思いでしょう。

 

私には勇気が無いですね。あれをやる。

しかし、行動の無い信仰は死んだ信仰です。

何か一つ、何か一歩、行動で前進する一日にしたいと思います。