14 しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。
15 私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが。
16 神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。
17 神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。
18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者につげ知らせます。
19 神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。
20 あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。
21 あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰めてくださいますように。
22 私もまた、六弦の立琴をもって、あなたをほめたたえます。わが神よ。あなたのまことを。イスラエルの聖なる方よ。私は立琴をもって、あなたにほめ歌を歌います。
23 私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。
24 私の舌もまた、一日中、あなたの義を言い表しましょう。それは彼らが恥を見、私を痛めつけようとする者どもがはずかしめを受けるからです。
ダビデの祈りは続きますが、まず「切に賛美」しています。
切に、ということは、懇願の境地なわけですが、そのお手本だと思って読みました。
私も切に祈り懇願する者でありたいですから。
一日中神の義と救いを語り告げる:一日中伝道出来ればよいのですがそうもいきません。ただ少なくとも、やることなすこと、全てのことが伝道のためにやっていること、というビジョンの定めはやっていけると思いました。
あなただけ:一日中・・・のマインドセットのことかと思います。全てのことをあなたのために、あなたに喜ばれるために。
そして、ビジョンが示されています。これはグランドビジョンであり、神のビジョンだと思います。
次の世代に、後に来る者すべてに告げる、神の力・大能のわざを。
このことは、実は王国イスラエルにおいて、とても重要なことでした。
モーセ五書の内容を当時のイスラエル人民に、王が率先して教えていくべきでした。
エジプトから脱出したイスラエルの人たちは、海を前にして止まらず尚も進みました。振り返ってエジプトの追手と戦おうとしたわけでもなく、あきらめたわけでもなく、”尚も”前に進んだ民です。
そこに神の力があらわれました。海が開かれました・・・・
ダビデは神からのビジョンを与えられていた、と言えそうです。
私にとって、次の世代に伝えるべき神の力は、他でもないイエスがよみがえられたことです。これが今日、神が与えてくださっているビジョンです。
そして、ダビデが言うように、神の力は私の人生にも、信じる者の人生にも注がれます。
時に苦難の道を通らせるも、そこから助け出してくださいます。
それどころから、人が自分自身で立派で偉大な者になろうとしなくとも、神がそれをやってくださる、ダビデはそう信じています。
その実、ダビデは今でもイスラエルでは最大級の偉大な人物です。これは神の力によります。
そして次に、ダビデは自分がやることを神に提示しています。
竪琴を奏でること、くちびるで歌うこと、義を”言い表す”ことです。
これをライフワークにすると言っているように聞こえます。
最後に、ダビデは吐露しています。
彼は息子たちに謀反を起こされて、心底悔しい思いに満ちていたことがわかります。
恥ずかしく恥ずかしく仕方なかったのかなあ、と思います。
そして、自分を罵ったり侮るような者たちがはずかしめを受けることを望んでいます。
ここには、神の前で優等生であろうとするのではなく、人間臭さがあらわれています。
まるで、そのために神に賛美すると言っているようなものだからです。
今日のみことばからは、私は何にフォーカスすべきなのか、とても大事なことが示されました。
人生の全てを伝道のために歩むことです。
以前、OCCでアーサー・ホーランド先生を見かけた時、はじめて見たし有名人でもあられますから声をかけさせていただきました。
そして、自分がアーサー先生のように勇気が無くて伝道が出来ない時がある。どうしたらよいですか、というような質問をしました。
その時、あの先生が私にかけてくれたアドバイスは、伝道における私のアンカーのようになっています。
「お前にはお前にしか出来ないイエス様を伝える道があるんだよ・おれにはおれにしか行けない道がある・それが必ずあるから」そして、がんばっていこうなと。
色々と悩んで眠れないこともありますし、時にはこの世で生きる限りは避けて通れないようなやりたくもないことが出てきます。
しかし、それはきっと神が助けてくださいます。それを神とは関係の無いことだと割り切るのではなく、神の助けを確信してグランドビジョン→自分の人生は伝道のためにある、ということを失わずにいることが大事なのだと思います。
神の力を伝えること。全ての言動や時間も金も感情も何もかも、そこに注いでいけば、あとは神がやってくださるのだと思います。
とてもシンプルです。
先日、知り合いのとある外国人の兄弟がラジオ番組(ネット?)に出演したのですが、そこで彼は、自分がどうして日本にやってきたのかという理由を質問されて、唐突に「イエスを伝えるため」であると明言していました。
パウロは目からうろこが落ちて見えるようになったのですが、私も耳からうろこが落ちたような気持ちでした。
プロスポーツの選手たちの多くが、インタビューの時にイエスに感謝を表しますし、今頃、クリスチャン人口1%以下の日本のどこかでも、辻説法にあけくれる兄弟たちがいます。
私も、全ての時間をイエスを伝えるために生きることが出来ます。
召された場所、召されたやり方があるはずですが、それが神からの答えだと思います。