指揮者のために。歌。賛歌

1 全地よ。神に向かって喜び叫べ。

2 御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。

3 神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。

4 全地はあなたを伏し拝み、あなたにほめ歌を歌います。あなたの御名をほめ歌います。」セラ

5 さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。

6 神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は川の中を歩いて渡る。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。

7 神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。セラ

8 国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ

9 神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。

10 神よ。まことに、あなたはわたしたちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。

11 あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。

12 あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました

13 私は全焼のいけにえを携えて、あなたの家に行き、私の誓いを果たします。

14 それは、私の苦しみのときに、私のくちびるが言ったもの、私の口が申し上げた誓いです。

15 私はあなたに肥えた獣の全焼のいけにえを、雄羊のいけにえの煙とともにささげます。雄牛を雄やぎといっしょに、ささげます。セラ

16 さあ、神を恐れる者は、みな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう

17 私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた

18 もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。

19 しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。

20 ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった

 

私は実は宗教が嫌いです。ありもしないようなものを皆でよってたかって「良いもの」とか「すばらしい」ものと言いあいながら、まるで「ある」ように信じ込むのはあほらしい集団陶酔だと思っています。

 

傍から見れば、私がイエスを信じ、この神を信じているのは、まさにそのようなものだろうと見られるかも知れませんが、この方に関する限りは、そのような集団陶酔の代物ではなく、個人にあらわれてくださった実存の神であるとわかっています。

 

その姿を見たわけではありませんが、信じてから私の身に起こったことを通して、よく世の中であるような、否定を前提とした存在の否定をしようとしても、存在されるとしか言えないことが起こっているのですから、皆で「ある」と言い合ってとか、そういうものではないのです。

 

ダビデは「神のみわざを見よ」と言うのですが、これは、精神とか空想世界で起こることを思えと言うのではなく、現実を見よ、ということだと思います。

 

海を分けられたのは、勝てるはずもない戦いで勝利を与えられたのは、処女の女性に子を宿されるのは、死から命をのみがえらせられるのは、人を創造されるのは、それは、私に普通では無いようなことを起こしてくださったあの神の同じ御手によることを覚えさせられる、そういうダビデの声です。

 

世の中は「あるわけない」で支配されています。

しかしその世の中は、「あるわけない」と考えられていたことが「実はあった」歴史でつながってきているようなものです。

天が動いていると思われたのに、知が動いていたんです。これなどは、錯覚していたようなものですね。

 

先んじて神の存在を体感して認めたことは、その先んじたこと自体の利益はあまり多くないのかも知れません。

私みたいなのが、先んじた先んじたと言って回っても、「ああうらやましい」とか「なかなか素晴らしいものを見つけたなあ」と言われるようなことなどほとんどなく

、「あいつは宗教にはまった」とコケにされたことの方が多いです。

 

しかし、ダビデが言うように、現実がいずれ起こります。

その時に、世の人らが「あれは神だ」と確信出来るように、言い換えるなら、「神は実はおられた」とわかるように、私は言葉をもって語る役割に召されているのだと思います。それが、先んじたことによるものです。錯覚から目覚めさせるための役割です。

 

今日のみことばからは、言葉に発する、ということを頂きました。

何かに限定して言葉に発するのではなく、まだ言葉に発していなかったことについて、発してみようと思います。

もし神が喜ばれることであれば、考えられないような現実が起こる可能性に期待します。