主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」

2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った

3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。

4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。

5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう

 

この3章は、なんだか自分が指摘されているような気分になるものです。

 

婚姻関係にありながら、他の男と性的関係を持つ妻を愛する。

神の目には最も醜い罪であろう偶像礼拝に夢中になっている者を、神は愛されています。

 

これがもし、親子関係になぞらえているものならまだわかります。親とはそんなもんだなあ、神様は実の親のようなお方なんだなあ、と。

しかし、婚姻関係、もっと言うなら性的な関係性にあてはめられているから、その汚さが際立ちますし、神の特異性がここに現れていると思います。

 

ホセアがその女性を買い取ったこともまた鮮明な出来事と言えます。

ほかの神々向かっている者を神が愛されるように、その不義の女を愛するために、金と資産をはたいています。

無罪のイエスのそのいのち、最終的には父なる神に見捨てられるという猛烈な苦しみという代価によらなければ、私は救われ得ませんでした。

 

救いは無償、とは、私がよく口にする表現ですが、救われる者にとっては無償であるだけで、本当は有償であるのに代わりに支払ってることを無償と言っているだけです。

そんなことあり得ますか。損得勘定なら計算が全く合いません。これを、真剣に受け取るなら(福音をよく知って受け取るなら)おののきがあって当然です。Amazing graceです。

 

親子関係なら少しはわかります。だから、わかりやすいようにそのように表現されているところもあります。

しかし本質は、婚姻関係のようであることが今日のみことばからわかります。

 

今日のみことばからは、イスラエルの祈り、を思い起こされました。

世界は、反イスラエルにどんどん傾いていっています。

そうなるだろうことは、聖書を通じてわかっていましたから、「ああやはり」と思っています。

 

私が今のイスラエルに思うところは、正直なところ・・・・

人が殺されるのを素晴らしがるつもりはないのだけれど、イスラエルが何と戦っているのかを考えると理解出来るし指示もする。しかし、イスラエルが完全無欠なはずもなく、責められる点は多々あるはず。しかし、今の状況を招いた直接的原因はハマスが昨年10月に侵攻したことであることを忘れてはいけない。しかし・・・

 

しかし、しかしの連続になってしまう。これが私の思うところの実情です。

イスラエルを祝福したい気持ちがずっとありますが、それだけに複雑なところも出てくるのでしょう。

 

しかし、神は言われています。終わりの日、イスラエルはおののきながらこの神に立ち返ります。それは、いよいよイエスが来られる時です。祈って待ち望みます。