1 その日、民に聞こえるように、モーセの書が朗読されたが、その中に、アモン人とモアブ人は決して神の集会に加わってはならない、と書かれているのが見つかった。
2 それは、彼らがパンと水をもってイスラエル人を迎えず、かえって彼らをのろうためにバラムを雇ったからである。しかし、私たちの神はそののろいを祝福に変えられた。
3 彼らはこの律法を聞くと、混血の者をみな、イスラエルから取り分けた。
4 これより以前、私たちの神の宮の部屋を任されていた祭司エルヤシブは、トビヤと親しい関係にあったので、
5 トビヤのために大きな部屋を一つあてがった。その部屋にはかつて、穀物のささげ物、乳香、器物、および、レビ人や歌うたいや門衛たちのために定められていた穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、および祭司のための奉納物が保管されていた。
6 その間、私はエルサレムにいなかった。私は、バビロンの王アルタシャスタの三十二年に、王のところに行き、その後しばらくたって、王にいとまを請い、
7 エルサレムに帰って来たからである。そのとき、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋に彼をあてがったことに気づいた。
8 私は大いにきげんを悪くし、トビヤ家の器具類を全部、その部屋から外へ投げ出し、
9 命じて、その部屋をきよめさせた。そして、私は、神の宮の器物を、穀物のささげ物や乳香といっしょに、再びそこに納めた。
アモン人、モアブ人への厳しい出禁措置ですが、実は色々と考えました。
どうしてなのかなあ、などと。
外国人への排他的措置、であるとするなら、そのように定められるところでしょうが、特に厳しい措置がその2民族には取られています。
新宿シャローム教会さんのサイトで、これへの言及があり勉強になりました。
厳しい措置の理由は、イスラエル人に罪をおかさせる性質があるからです。
これは、単に呪うということではなく、神から離れさせるような性質を持っているから、と捉えました。
興味深いのは、あのルツは、モアブ人だということです。
しかし彼女はその信仰をもって、イスラエルに交じり入ることが許された者です。
そして、旧約聖書に堂々とその名前を残されて、語り継がれる信仰者です。
神は、特定の人に見られるような民族主義的・排他主義なお方ではありません。
霊的に完全排他かつ絶対正義のご存在です。
それにしても、こんなにも霊的リバイバルが起きているイスラエルで、大祭司が律法に背く行為を行っていることは衝撃的です。
大祭司に神を信じる心が無かったわけではないでしょうが、あの城壁再建を妨害したアモン人トビヤに部屋を与えるという厚遇で律法に”大背き”しています。
人間関係があったからと聖書は述べますが、人間関係には金の関係も含まれているんじゃないでしょうかね。
バラムの話も、金による買収がポイントになっています。
金の危険性からの隔離もまた、アモン人・モアブ人出禁の理由かも知れません。
そして、ネヘミヤがこの話を記の最終章で記したことにも警鐘的意義を感じます。
大リバイバルが進行中のイスラエルで、その様子をもって感動するほどのネヘミヤ記なのですが、魔はいつも隣り合わせということです。
つまり、罪を起こさせる存在は絶えずつきまとっている、ということなのだと思いました。