32 私たちの神、契約と恵みを守られる、大いなる、力強い、恐るべき神よ。アッシリヤの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、私たちのつかさ、祭司、預言者たち、また、私たちの先祖と、あなたの民全部に降りかかったすべての困難を、どうか今、小さい事とみなさないでください。

33 私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行われたのに、私たちは悪を行ったのです。

34 私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず、あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした。

35 彼らは、自分たちの王国のうちと、あなたが彼らに与えたその大きな恵みのうちに、また、あなたが彼らの前に置かれた広くて肥えた土地のうちにありながら、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから、立ち返りもしませんでした。

36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。

37 私たちが罪を犯したので、あなたは私たちの上に王を立てられましたが、その王たちのために、この地は多くの収穫を与えています。彼らは私たちのからだと、私たちの家畜を思いどおり支配しております。それで私たちは非常な苦しみの中におります。」

38 これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した

 

帰還した民たちの悲愴な決意を感じさせられるところです。

 

平穏無事な世の中で生きていると、自分に降りかかる苦しみや困難の原因を、まずは自分ではなく、自分以外に探してしまいがちです。もちろん、そうではない人もいるとは思いますが。

 

私が感じている最近の日本はこの傾向が強く、まずは「国が悪い」とか「政府の責任」とするケースが多いのではないかな、と思います。

 

これは、信仰の問題と言うよりも、苦しみや困難の程度の問題と言えるかと思います。

 

神の前に立ち、律法を通して神の聖を知り、それを鏡のようにして自分たちの姿を見ているのが捕囚から帰ってきたイスラエルの民だと言えます。

そして、先の私の考える日本人の被害者志向とはだいたい真逆の発想で悔い改めています。

自分が所属するイスラエルというコミュニティ、国、政府(王朝)に問題があったのだと神に告白するのです。これは、まぎれもなくイスラエルというアイデンティティですね。

 

そして、イスラエルを救い出していただきたいのだ、何が何でももうこの状況から脱出したいんだ、という強烈な渇きがあるからこそ、そのただ唯一の道である神に、正しく悔い改めている姿ではないかと思います。

 

その渇きを喚起させたものは、恐らく、捕囚時代の生活が苦しすぎたというわけではなく、イスラエルに帰ってきて神の前で皆で力を合わせて城壁など再建の仕事に取り組み、祖国の素晴らしさや団結することの素晴らしさを知ったからだと思います。

そして、もうあそこに戻りたくない、自分たちがこれから神を中心とした国を作っていくんだという、前向きで情熱的な使命感が与えられているのだと思うのです。

 

思想めいてきますが・・・日本が本当に良い国家になろうと思えば、国や政府に甘えて、自分が生きている間だけは可能な限り楽をしよう、と言う発想を捨てなければならないですね。そこに本当の愛国精神があるように思います。

そして、何よりも大切なことは、本物の神を知って信じ御前に立つことです。

日本国民の全てがそれをやるなら、結果的に莫大な繁栄がもたらされることでしょう。

 

今日のみことばの最後に、「盟約」を結んだとあります。

”その時歴史は動いた”ですね。

 

今日のみことばからは、自分の責任を問う、を実践したいと思います。

何か抱える不都合を解決しなければならない時に、客観的な原因ばかりを追いかけてしまうものですが、その前に、自分がやるべきこと・改善すべきことを問う、これを実践したいと思います。

山のようにありますね。一つ一つやっていきたいと思います。