1ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバの出であった。
2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行った。
3 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。
4 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮にささげられる聖別されたすべての金、すなわち、各人に割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮にささげられるすべての金は、
5 祭司たちが、めいめい自分の担当する者から受け取り、宮のどこかが破損していれば、その破損の修理にそれを当てなければならない。」
6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは宮の破損を修理しなかった。
7 それでヨアシュ王は、祭司エホヤダと、祭司たちを呼んで彼らに言った。「なぜ、宮の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。宮の破損に、それをあてなければならないから。」
8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、宮の破損の修理に責任を持たないことに同意した。
サウル→ダビデ→ソロモン(女・偶像)→
【南】レハブアム(偶像)→アビヤム(偶像?)→アサ(善butシリア同盟)→ヨシャパテ(善butアハブと懇親)→ヨラム→アハズヤ(殺害byエフー)→アタルヤ(最悪)→ヨアシュ
【北】ヤロブアム(偶像)→ナダブ(偶像)→バシャ(クーデタ・偶像)→エラ→ジムリ(クーデタ・偶・自殺)→オムリ(酷い偶像)→アハブ(最悪偶像・エリヤ・悪妻イゼベル)→アハズヤ(偶像)→ヨラム(偶像まだまし、殺害byエフー)→エフー(アハブ家抹殺、金の牛拝む)
ヨアシュは6歳か7歳で即位していますから、祭司エホヤダは養育係・教育係とも言え、それは霊的な英才教育であったのではと思います。幼児教育で養われるものは大きいです。
エホヤダに手がかけられているうちは「主の目にかなうことを行った」というところからは、素直にその教育を受けていたということだと私は思います。
少年期あたりになると、自分が王であることの自覚が出てくるはずです。
ヨアシュの性質が、肉的に生きようとするものが強くあったなら、エホヤダを口うるさく感じて追放することも出来たでしょう。
しかしヨアシュはそうではなくエホヤダに従っていたこと、そして即位から23年目、つまりヨアシュ30歳頃に至っても、エホヤダを傍に置いていたことがわかります。
その頃になればエホヤダは教育係ではないのですが、王室での中心的ポジションに置かれていたようです。
ヨアシュ王の時代は、南ユダがアハブの血の混濁から解放されたような印象を受けます。
ヨアシュは、政治手腕としては割とおっとりですね。
宮の修理が必要な状況であったようですが、そもそも、宮の損壊を招いたのは、恐らく南の王の中で最低最悪であったアタルヤ王によるものです。
その修理を、祭司たちが宮の運営や自分たちの給金、生活費の原資としているものから支払えと言うのですから、無理があります。
しかもその無理をヨアシュが知るのは一定期間が経ってからのことです。
おっとりですよ。
これもまた、ヨアシュの性質を垣間見るような気がするのですが、”エホヤダが彼を教えた期間”が過ぎ、いよいよ主体的な思考で進めたヨアシュの政策がこの宮の修理の
件、と言えませんでしょうか。
政治手腕はあまり大したことないんだな、と思いました。
ただヨアシュは、単純というか純粋というか、だめだとわかれば素直に方向転換しています。
これ、世が世なら、指令を守らなかった祭司らは殺害されているかも知れません。
しかしヨアシュはそういう怒りをぶつけるようなことはしていません。
今日のみことばからは、神からのメッセージとして「それでいいよ」と言われている気がしました。
私にとって仕事は、舞台に上がって何かを演じるようなものです。
本来の自分が持つ人間性とはあまり結びつけずに、お金を儲けるためにやるべき役割をしっかり演じ切ること。そういう気持ちは今でもあります。
クリスチャンになる前は、金のためなら手段を選ばない、自分を演じていました。
本当の私は、臆病で人の目が気になるような性格で、手段を選びに選んで問題が無さそうなものだけしか実行出来ない、そんな者なのです。
ですから、確かにあの頃はお金を稼いだ時期もあったのですが、虚勢を張れるだけ張って生きていたようなもので、大変にしんどかったのです。
そういう無理な日々はやがて破綻を迎え、その頃に私はイエスを信じたのですが、神が私の人生にご介入されている今は前とは少し違います。
そのせいか、虚勢を張って”早い金”をつかみに行くことなどはなくなりましたから、実入りもそんなに多くはありません。ただし、合法的に倫理的にもおかしくないように、正直に仕事はしています。
それでも、家内の収入が良いもので、私にとっては満足な暮らし以上のものが与えられていると思っています。
私、50歳を回っていますから、男として情けないなと思うことも正直あります。
家内ありきの家計と言えなくもありませんし、そんなお家は少数派ですから。
ヨアシュの姿が私自身にラップしたように思いました。
人間ヨアシュの政治手腕は、あまり大したことは無さそうです。
しかしエホヤダの手ほどきで育ってきた彼の本領は、そこではないのだと思います。
私の本領も、ただ金を稼ぐ人生、ではないのです。
だから神は「それでいいよ」と言ってくださっている気がするのです。
私は1日の中で、このQTの時間が一番幸せで、一番集中します。
仕事の比ではないし、仕事の時間を削ってでもQTすることなんてざらにあります。
神が用意してくださるこれからのステージを楽しみにしていきたいと思います。