12 ですから、すでにこれらのことを知っており、現に持っている真理に堅く立っているあなたがたであるとはいえ、私はいつもこれらのことを、あなたがたに思い起こさせようとするのです。

13 私が地上の幕屋にいる間は、これらのことを思い起こさせることによって、あなたがたを奮い立たせることを、私のなすべきことと思っています。

14 それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っています。

15 また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。

16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありませんこの私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。

17 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」

18 私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。

19 また、私たちは、さらに確かな預言者のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

20 それは何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神のことばを語ったのだからです。12 ですから、すでにこれらのことを知っており、現に持っている真理に堅く立っているあなたがたであるとはいえ、私はいつもこれらのことを、あなたがたに思い起こさせようとするのです。

 

ここ数週間ほどにもなるでしょうか、私の中で重要さが増したのは、どうして私が先に救われたのか、ということです。

日本には、偉い人、良い人、立派な人が大勢いることを知っていますから、そんな人に先んじてなぜ私のようなのが救われているかの理由です。

そこで辿り着いているのは、やはりイエスを伝える役割があるということです。

 

今日のみことばで語られることは、その他にも重要なこと、これは私が重要だと思っていなかったから余計に思うのですが、「信じた者に思い起こさせること」です。

 

先日までのみことばで、ペテロが説いた「信徒はこの世でどうあるべきか」について、実のところそれはイエスを信じている者ならわかっていることなのだけれど、思い起こさせるためにしつこく言っているとのことです。

 

それは、

世の決まり事を守り通すこと。

迫害を加えてくる者に対して尚善行で応えること。

イエスを信じることを土台とし、兄弟愛に更に愛を加えて愛し合うところまで、教会での信徒同士のつながりを極めて行きなさいということ。

になってきますが、確かに、しつこく言われていないと世の動きに合わせていくだけになってしまいがちですし、忘れることです。

 

そして、救われた者には、そのことを思い出させる役割があるということですね。

弟子と一般信徒は違う、と言う話はあるのですが、私は階級とかステイタスではなく、どれだけイエスに従うことに従順であるかという、信仰成長の具合です。

「私はただの平信徒」と自称していても、この「思い出させること」に従順するなら、それは成長の階段を一歩上ることそのものだと思います。

 

今日のみことばで、私が最も心に響いてくることは、”預言”についてです。

 

この手紙でペテロが語るところの預言とは、今で言う旧約聖書にあらわされるイエスに関する預言のことだと思います。

しかし、私にとってみれば、イエスが1回目に来てくださって、新約聖書で福音がはっきりと語られる今では、福音書はもちろんですが、ペテロのこの手紙も、パウロからの手紙もあります。

そしてネットや電子デバイスによって旧約聖書、新約聖書が読めるというこの時代は、まさにめぐみの時代で、とても簡単に預言にアクセスすることが出来るのです。

 

そして最も重要で私が励まされるのは、ペテロは、この預言というのは、ペテロ自身が肉眼でイエスを見たことよりも”確か”であると言っていることです。

それは、先述の預言がイエスがこの世の来られたことで成就しているという、実証済の預言だからそう言えるのだと思っています。

 

そう思うと、確かにペテロが果たしている「思い起こさせる」役割というのは、聖書がイエスを信じる信仰者に果たしている役割そのものであり、私はこのようにして恩恵に与りながら、自分も役割を少しでも果たしていこうとしています。

 

思い起こさせること。

聖書朗読を共にするということも、それに該当してきそうです。

 

そして、イエスはまた来られるとその聖書で言っています。

今度は、信じている者を迎えに来てくれると言います。

この確かな約束が、私にとって夜明け前の灯です。