今週は家内が長期出張に出ているため、一人の時間が多いのですが、前から興味があった「ワイルド・ワイルド・カントリー」というネットフリックスのドキュメンタリーを見ました。

もともとは、インド発祥なのでしょうか。

仏教系カルト宗教集団の実話です。

ラジニーシという名前の団体なのですが、80年代初頭に、米国オレゴン州の何もないところに巨大な共同体を築いたことからはじまるノンフィクションでした。

私はイエスを信じる者なのですが、一体彼らが何を信じているのかはよくわからないところがあります。

日本の和尚さんにちなんで「オショー」と呼ばれるようになる教祖様を崇め奉るというような感じのカルトではあります。

このオショーさん、って人、ダイヤモンドだらけのロレックスをしてロールスロイスに乗り、プライベートジェットを飛ばすという、高須クリニックの院長みたいな、ただのバブってる金持ちなんですけどね。

私はその彼らがオレゴンに言わば理想郷を築こうとやってきて、皆で協力し、しかも楽しみながら建築、土木などを進めているところについては、何だか楽しそうだなとは思いました。

あのドキュメンタリーからすると、彼らはまともに働くこともなく、ただ楽しく、飲み食いして、酔って踊って、そしてフリーSEXを楽しむというものでした。
そのための生活費などを提供してくれるのが、その高須院長さんみたいなオショーさんということになるかも知れませんが、それはそれは激熱な信者さんたちの様子が映し出されていました。

小さな村に築かれた共同体であったため、まずは村が事実上乗っ取られ、群も支配しようとしたところから、地元住民との摩擦が大きくなり、米国メディアも大きく取り上げて社会問題になっていった、というものです。

何が起こったかについては、作品にてチェックしてもらいたいのですが、私はそこで語られる信者の人らの言い分には90%閉口です。何言ってんの、です。

個人やこのような団体であったとしても、社会の中にあっては、その中の一点とか一部分です。
その一点、一部分が全てであるという世界観を前提として語られるあまりにも視野の狭い論述は、どれもこれも子供みたいなものです。

また、自分は、自分たちは完全に被害者であって、加害要素なんで微塵もないという考えです。だからカルトと呼ばれるんです。
私からすると、極悪の犯罪者集団です。

しかしそれらはまだましです。

私が特に嫌悪を覚えるのは、フリーSEXです。
これがもし、婚姻関係にある者同士のものなら、朝から晩までやっとけよという話ですが、フリーという限りは、誰かれなく、所かまわずなのです。
しかも、共同体内では結婚という契約は無かったようで、フリーSEXこそこのカルトを特徴づけるトップラインと言えるはずです。

この辺は、映像の作り込みとしてあまり見せていないところですが、かなり酷いことになっていたと思いますね。


FBIの捜査官がこの共同体に入って最初に見たものは、男と女が抱き合ってSEXしているところだったとのことでしたから、とんでもない乱交カルトだと思います。

くどいようですが、働かないことや、遊んで暮らすことについては、あれなんか羨ましいかも、とさえ思うのですが、このフリーSEXについては絶対にだめです。
この乱れこそ、人の罪の根源と言えますから、それを貪ることを肯定するなんてまともではありません。

ところが、私がこれ日本に来たらやばいよね、と思うのは、現代日本人って、まさにここ目指してないか?と思うからです。

働かなくてもそれなりに食べたり飲んだり出来て、楽しみがあって、しかも性の乱れ方なんてもう既にえらいことになっています。

これを裏返すと、何かを獲得するためとか守るために犠牲を払うことを潔癖に嫌がり、それでいて欲が満たされることを、まるで人権のように考える傾向が強まっているということです。要は、ないものねだりの性カオスの世界ということになります。

もしこのラジニーシというカルト団体のオレゴンでの活動が、今の日本にあったとしたら、どんどん信者を増やすだろうなあと想像しました。

働くこと、というのは、これは神が人を創られた時から備えられていることです。
性欲というのは、罪の結果もたらされたであろうもので、結果的に、子を産むためにある機能と言えます。
貪るものではない、ということです。

ストーリーの最後に、私たちは何も悪い事をしていないし、教祖様も何も悪くなかったのに、米国という国が私たちを妬みから追放したんだ、みたいな話がありました。
これは、確実にプロテスタントを目の敵にした言い分だと思います。

私は、遠い過去にはカトリック教会にあったこと、近代においてはプロテスタント教会にも、悔い改めなければならなかったことは沢山あると思っています。

そして、今当たり前となっていることでも、将来的に悔い改めることになる罪・罪性の存在に気を尖らせています。
ですから、彼らの言うことは、その要素として認めなければならないと思います。

しかし、だからと言って、性を徹底的に貪るという異常性や、防衛目的とは言え凄い火力の武器で武装して威嚇したり、細菌テロを実行したりすることが、別に構わないことになるはずがありません。
彼らは、個人個人の言い分として話をしていますが、「私がやったわけではない」という理由で自己正当性を主張しているように思うのですが、私から見れば、いえ、当時の米国社会から見ても、ラジニーシというカルト宗教のしわざであり、そのトップであるオショーに全責任があると見て普通です。

この「ワイルド・ワイルド・カントリー」というプログラムは、半ば布教目的で作られたものであるのかな、と思います。現代米国への語り掛け部分が多いんですね。信者が涙を流してオショーを賛美したり。

道徳、倫理というだけではなく、魂の行方、つまり死んだらどこに行くのか、という点で、このようなカルトには一寸の救いもありません。
このカルトでも天国に行ける、と言っているような言質がありましたが、そこには何の理由もありません。ただ「行ける!」って言ってるだけです。
好き放題SEXして、酒に酔って天国に行けるなんて、絶対にあり得ません。

むしろ、聖書の神が怒りをくだされた偶像礼拝そのものの姿です。


もしも、イエスをすぐに信じることが出来なくとも、死んでから天に行ける道を残しておきたいのであれば、このようなインチキカルトにはひっかからないようにだけはしておいてもらいたいと、心から思いました。