ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

2 それから、彼に次のような主のことばがあった。

3 「ここを去って東に向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。

4 そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」

5 それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。

6 幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

7 しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。

8 すると、彼に次のような主のことばがあった。

9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、あそこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」

11 彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」

12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」

13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。

14 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』

15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた

16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。

 

サウル→ダビデ→ソロモン(女・偶像)→
【南】レハブアム(偶像)→アビヤム(偶像?)→アサ(善→シリア同盟)→ヨシャパテ
【北】ヤロブアム(偶像)→ナダブ(偶像)→バシャ(クーデタ・偶像)→エラ→ジムリ(クーデタ・偶・自殺)→オムリ(酷い偶像)→アハブ(エリヤ)

 

エリヤはアハブ王に、ほぼ苦言とも言える預言をしてから、神の命によって僻地に身を隠しています。

神は「鳥が養うから」と言われるのですが、鳥に養ってもらっている人なんて私は見たことがありません。

 

ところが、それに従ってエリヤは行くと、鳥はなんとパンに加えて肉まで運んで来てくれました。

しかも1日に2回です。

どこで焼かれたパンなのか、何の肉なのか。まさか鶏肉ではないよな、と、ちょっと笑ってしまいそうになりますが、鳥は、それなりに良い食事でエリヤを養うのです。

 

そして次はやもめです。

エリヤがなんでまた、僻地から僻地へと渡っていかなければならなかったのか。

恐らくは、狂気の王であるアハブから身を守らせるためだと思います。

 

または、エリヤも人間だからなのかも、と想像します。

アハブが外国から取り込んだ偶像礼拝は、いずれも性的に堕落も堕落のカルト宗教です。

その誘惑からエリヤを遠ざけられているのかなあ、と。しかしこれは無いかな。ふと思っただけです。

 

そして、やもめに養ってもらうことになったエリヤですが、そこに行くと、貧しさを極めて子供と心中しようとしているというような、もしかすると、先ほどの鳥より他人を養う力のないやもめのところに、神はエリヤを行かせるわけです。

 

ここでの発言で、エリヤはすごいなと思います。

やもめに、水をくれ、と言うのに加えて、パンも持ってきてくれと言うのです。

このやもめは、見た目からもその貧しさが滲み出ていたはずです。心中を決意しているのですから。

しかし、鳥に養ってもらっていたエリヤは、神のその不思議な力を知っていることもあり、養われる気まんまんです。

 

そしてやもめの答えのはじめ、彼女は信仰告白します。

おそらく、神の声を聞いていたのでしょう。

「あなたの神、主は生きておられます。」と冒頭に告げると、その後は内心を告白しています。

これから最後のパンを子供と食べて死のうとしているのに、というものです。「なんで私なの」ということでしょうか。

 

しかしエリヤはもうそれで、やもめが間違いなく養ってくれる、神の御手にあることを確信したのでしょう、

「子供の前に、私のパンを先に焼け」と言うのです。

これは厚かましいです。

しかし、神を確信しているから、変な気をつかう必要がない、そういうものが溢れている発言と言えます。

 

そして、エリヤはこの無理心中を決意していたやもめに養われ、やもめも食べるものが確保することが出来て、心中しなくて済みました。

 

エリヤがアハブ王の時代にやってきたこの話をこのように辿っていくと、むちゃくちゃな出来事が起きていることがわかります。

笑ってしまうほど、あり得ないことが起きています。

 

しかしそこには、信仰によって、生かされ備えられるエリヤややもめの姿があり、私個人としては、とても力の沸く出来事です。

 

そして、そのエリヤとやもめは、「神は生きておられます」という告白が口をついています。

 

私の神は生きておられます。私のジーザスは生きておられます。

全ての冒頭にこの言葉をもって、永遠のいのちにまで至らせてくださる神を賛美していきたいと思います。

 

この夏、私は妻と共に海外に移ることにしています。

まずは1年。

ただ海外に行きたいということではなく、そのようなみちびきがあってのことです。

 

ところがこの円安や物価高騰を受けて、予算がかなりシビアになってきました。

バカンスに行こうかというような余裕のある話ならよいのですが、そういうものでもありません。

 

しかし、私は今日のみことばを通して、神が「行け」と言われている気がしました。

エリヤは神が「鳥が養うから」「やもめが養うから」という、にわかに信じられない話を信じて向かいました。

そして、パンだけではなく肉まで与えれました。

やもめのケースでは、エリヤだけではなく、やもめも「なんで私なの」と思いながら神に従い、結果、やもめ自身も守られました。

 

これは、私にとってのみことばです。

私の神は生きておられます。私の神は生きておられます。

”大丈夫”それ以上を確信しました。

神に感謝します。