15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、民はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。

16 陣を敷いていたこの民は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」と言うことを聞いた。すると、全イスラエルがその日、その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とした

17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。

18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、みずから王宮に火を放って死んだ。

19 これは、彼が罪を犯して主の前に悪を行い、ヤロブアムの道に進んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。

20 ジムリのその他の業績、彼の企てた謀反、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。

22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。

23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァの王であった。

24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリアの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。

25 オムリは主の目の前に悪を行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。

26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。

27 オムリの行ったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

28 オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。

 

サウル→ダビデ→ソロモン(女・偶像)→
【南】レハブアム(偶像)→アビヤム(偶像?)→アサ(善→シリア同盟)→ヨシャパテ
【北】ヤロブアム(偶像)→ナダブ(偶像)→バシャ(クーデタ・偶像)→エラ→ジムリ(クーデタ・偶像・自殺)→オムリ(酷い偶像)→アハブ

 

北の王の移り変わりが続いていますが、あのアハブにどうつながっていくのか、というものです。

 

北の始点はヤロブアムで勝手な偶像、神殿男娼。

ナダブも偶像、バシャンはクーデタを起こして偶像、エラも偶像を引き継ぎ、ジムリというのが現われてまたクーデタを起こして即自殺、そしてオムリというのも酷い偶像礼拝で、アハブと。

 

北イスラエルは、どうなっとるんだという状態で、これはもう破壊です。

私の見立てですが、偶像礼拝を一向にやめないのは、言わば性欲や欲望の肯定してやまないのであり、今の世の中と同じです。

 

性交は快楽を貪る権利、人権の一部のように扱われています。

しかしそれは違います。

人に備わる性欲は、夫婦が子を授かるためのものであり、それ以外の何のためでもありません。

 

その性欲のコントロールが出来ないこと。

これは人にある悲しい部分であり、私もその中の一人でずっと葛藤する者です。

しかしこれを葛藤ではなく、当然のこととか、権利とか言い出すなら、それはもうこのヤロブアムから続く北イスラエルのような破壊への道しかありません。

 

どこやらの国では、中絶が合法化されつつ(された?)あります。

なんの羞恥心もなく、避妊具が配布されているようなシーンを見かけます。

どこやらの町に行くと、性風俗の店が、まるで飲食店のように列をなしています。

インターネットでは簡単にポルノにアクセスすることが出来、日本のコンビニでは淫らな表紙の雑誌が堂々と陳列されています。

そんな世界、そんな日本は今、良いのでしょうか。祝福されているのでしょうか。

 

しかし、私はそんなことを偉そうに言える資格はありません。だめな一人です。

ブログのタイトルにしている”ありのまま”というのは、そういうだめな私の事なのです。

 

”ありのまま”でしかいられないのではありますが、マシでいたいと思います。

それは、そういう自分を悲しむということ、戦うということです。

ちっとも楽しくありませんし、なんだか人生の不効率を感じていらいらもします。

しかし、イエスが言われる「悲しむ者は幸いです。」というみことばを思い出します。

そういう悲しみや不効率は、「慰められる」とイエスは言われます。

ですから、”ありのまま”の私は、悲しみを含んだものであることをあらためて覚えて、いつかそういうものに完全に勝利出来る者となれるように、神の聖によって満たされ得るよう祈っていきたいと思います。

 

かくして、霊の民の国であるはずの北イスラエルのその霊性は、ことごとく破壊されて、更なる分裂が起こっています。

 

そして王の姿もまた破壊を代表しているようなものです。

昔から、呪いの言葉として「ロクな死に方せんぞ」というものがあります。

お前なんか死んでしまえ、ということを、もっと皮肉に表現したような言い方です。

まさにそんな感じでクーデタで殺されたり自殺したり、そういう様相です。

 

今日のみことばだけではいのですが、このような状況を招いているのは、自然の法則とか物事の摂理とかではなく、神の怒りによるということをわかっておくべきだと思います。

 

ありのままの私は、どうしようもないのだけれど、聖書は、イエスのことを信じることのみが赦しの道であることを明言しています。

であるなら、赦されるということをしっかりと受け止めて、「悔いること」「改めること」もまた従順なのだと思います。

 

願い事だけを叶えてくれるのは、アラジンと魔法使いのジーニーかハクション大魔王であり、そんな神様がいるわけがありません。ただのフィクションです。

更に性欲までも満たしてくれるような神様がいるなんて、そんなわけがありません。

 

本当に実在して揺るがない唯一の神は、絶対的正義であられて罪に対しては滅びを与えられます。罪人には例外なく死が与えらるということです。

しかしこの唯一の神は愛です。罪を赦すというようなレベルではなく、「そんなことがあったとは知らんかったよ」という、前科がつかないまでに赦しを与えてくださるお方です。刑期終了とはわけが違うのです。

 

その赦しを得るための道がイエスです。

罪からの救いのために来てくださって、本来罪あるわれわれ人間が受けるべき滅び、つまり死を代わりに受けてくださりました。

しかも、そこから息を吹き返し、つまり命を再び得てよみがえることで、それが確かに神による愛であると証明されました。

 

そして、その無罪への道を通る者には、滅びでも死でもなく、永遠のいのちを与えてくださいます。

肉体は死んでも霊は生き、やがて来るべき日には、肉体そのものが再び与えられて生かしてくださると聖書は語っています。精神世界でも哲学でもありません。体が与えられます。もう今度は、どこにも何も悪いところが痛いところも苦しみも無い完全に健全な体が与えられると約束されているのです。

これがこの神の約束、救いです。

 

だから、こんな世の中で、私もこのように脆弱で情けないのですが、赦してくださると約束してくださる神にずっとしがみついて、イエスの道だけは絶対に外れずに、ただ救われるという方向に向かってまっしぐらに歩いていこうと思うのです。

そのことを信仰と呼ぶのだと思います。