28 ダビデ王は答えて言った。「バテ・シェバをここに呼びなさい。」彼女が王の前に来て、王の前に立つと、
29 王は誓って言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。
30 私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」
31 バテ・シェバは地にひれ伏して、王に礼をし、そして言った。「わが君、ダビデ王さま。いつまでも生きておられますように。」
32 それからダビデ王は言った。「祭司ツァドクと預言者ナタン、それに、エホヤダの子ベナヤをここに呼びなさい。」彼らが王の前に来ると、
33 王は彼らに言った。「あなたがたの主君の家来たちを連れ、私の子ソロモンを私の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ下って行きなさい。
34 祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油をそそいでイスラエルの王としなさい。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい』と叫びなさい。
35 それから、彼に従って上って来なさい。彼は来て、私の王座に着き、彼が私に代わって王となる。私は彼をイスラエルとユダの君主に任命した。」
36 エホヤダの子ベナヤが王に答えて言った。「アーメン。王さまの神、主も、そう言われますように。
37 主が、王さまとともにおられたように、ソロモンとともにおられ、彼の王座を、わが君、ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」
ソロモン即位への準備とその指令が急かされたのは、アドニヤの半ば謀反の行動とうよりも、神が設定された時であったのかなあ、と思った。
このダビデが指令した即位式。なんてインスタントなことだろう。
大量のいけにえを捧げて派手にやっているアドニヤとはそもそもの雰囲気、様子が違う。
ソロモンはこの時まだ11歳ほど。
ダビデに命じられたツァドク、ナタン、ベナヤも若い。
それまでダビデの側近として活躍した者たちはアドニヤについたのだ。
ここに、神の御心を感じずにはいられない。
イスラエルの統治体制を若返らせるという御心だ。
代謝を行われるということだ。
信仰にもまた、代謝に似たところがあると思う。
ヨハネの黙示録で、エペソ教会は立派に異端を見抜いて追い出したと褒められながら「非難すべきところがある」と前置きして「はじめの愛から離れてしまった」と糾弾されるのだ。
なんとなく、これが私には信仰の代謝であると感じる。
イエスは「後の者が先になることが多い」と言われたが、これも代謝のあらわれだろう。
先の者は後に送られていって、いつも先頭は後の者になることが多い。神の前で。
これはわかるなあ。
今日のみことばから示されることについて、実は、ピーンと来ている。
この状況では私は若手の立場であるから嬉しいのだが、どうして後の者が先に来るのかの原理をしっかりとわきまえて、仕えること、むしろ後とか下に行く姿勢をもって臨みたいと思う。