16 しかし、悪者に対して神は言われる。「何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。

17 おまえは戒めを憎み、わたしのことばを自分のうしろに投げ捨てた。

18 おまえは盗人に会うと、これとくみし、姦通する者と親しくする。

19 おまえの口は悪を放ち、おまえの舌は欺きを仕組んでいる。

20 おまえは座して、おのれの兄弟の悪口を言い、おのれの母の子をそしる。

21 こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる

22 神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。

23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

 

悪者、神を忘れる者とは、感謝のいけにえをささげない者、ということが出来るかも知れない。

 

やがて裁きの日にあって、神はその悪者をもちろん裁くのだが、その時の悪者の特徴が述べられている。

「わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ」

 

寒気がするようなみことばだ。

自分が神に等しいなんて思ってはいない。そういうつもりだが、しかしあげられる悪者の特徴は、どれも自分にある性質として眠っているかも知れない、と思えるものだ。

だから、寒気がする。

 

これはもしかしたら、自分ではクリスチャンだと思っていながら、そうでもない人を悪者と糾弾するもののように思えた。

 

そうならないように、感謝のいけにえを捧げよ、と言われるのだろう。

感謝のいけにえ。

これを何気ないものとして捉えずに、しっかり従っていこうと思う。