15 むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。

16 悪者がふえると、そむきの罪も増す。しかし正しい者は彼らの滅びを見る。

17 あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。

18 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。

19 しもべをことばだけで戒めることはできない。彼はそれがわかっても、反応がない。

20 軽率に話をする人を見ただろう。彼よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある

21 自分のしもべを幼い時から甘やかすと、ついには彼の手におえない者になる。

22 怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。

23 人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。

24 盗人にくみする者は自分自身を憎む者だ。彼はのろいを聞いても何も言わない。

25 人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。

26 支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。

27 不正な人は正しい人に忌みきらわれ、行いの正しい人は悪者に忌みきらわれる

 

今日のみことばで投げかけられるのは、18節の「幻」のことだ。

英語の聖書ではこの「幻」Vision、ビジョンのことだ。

 

ビジョンとは、向かう先の様子であり、それが無ければ民は好き勝手やるということだが、この一節をして「ビジョン無き民は滅ぶ」と言った方がいた。

まさにそれだ。ビジョン無き民は滅ぶのだ。

 

日本の国にはビジョンがあるだろうか。

この国は、どこに向かっているだろうか。

 

私は安倍晋三という人をあまり好きではなかったが、彼が最初に首相に就いた時「美しい日本」を掲げたことは新鮮だった。

なんだかどこかの外国の大統領の就任演説を真似ているような気もして気色が悪くもあったけれど、そういう先のビジョンについてイメージを語ることは、リーダーとして重要なことなのだとソロモンは言っている。

 

私の家族にはビジョンがあるだろうか。

将来的な青写真は確かにある。家内と2人なので、いずれはどこか自然豊かなところに引っ越して過ごそうとか、そういうものだ。

しかし、それはビジョンと言うものでもない、そうなったらいいな、程度のものだ。

 

ビジョンを求めようと思う。英語版のVISIONではない訳はREVELATION。

ビジョンが要るからと言って、自分の願望を基礎に柱にしながら組み立てるのは、これこそ知恵の無い者のやり方だ。示されるものということだと思う。

 

家族のビジョン、仕事のビジョン、人生そのもののビジョン。

計画的なものが無くはないのだが、一旦白紙。神を恐れて求める時に、示されるものに期待する。

みことばが基礎となり柱となるビジョン。

これを求めていこう。