15 公義が行われることは、正しい者には喜びであり、不法を行う者には滅びである。
16 悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む。

17 快楽を愛する者は貧しい人となり、ぶどう酒や油を愛する者は富むことがない。

18 悪者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。

19 争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがましだ。

20 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし愚かな者はこれをのみ尽くす。

21 正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。

22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上って、その頼みとするとりでを倒す。

23 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。

24 高ぶった横柄な者―その名は「あざける者」、彼はいばって、横柄なふるまいをする。

25 なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働くことを拒むからだ。
26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れている。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。

27 悪者のいけにえは忌みきらわれる。悪意をもってささげるときは、なおさらのこと。

28 まやかしの証人は滅びる。しかし、よく聞く者はいつまでも語る。

29 悪者はあつかましく、正しい者は自分の道をわきまえる。

30 主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。

31 馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。

 

浪費と怠け。

今日、私が神様に指摘され、それを絶つようにと言われていると思います。

 

自分の中にある二面性は、この箴言でもうたわれるように、2種類の重りを持っているようなものです。これは大きな問題として捉え続ける必要があります。

 

その1つは、神様に従っていきたい、美しくあろうとする、一種の憧れのような重り。

それは恐らく、私にある変身願望に近いもので、イエス様を信じていこうとした時に溢れてきた新しい良い自分への渇望です。

 

もう1つは、素の自分で、ぶどう酒と油を愛する者、争い好き、いばる者、あざける者、そういう重りで、まさに新しい自分とは真逆です。

 

以前、新しい車が欲しいと思ったんです。

幼い頃から車が好きで、車のパンフレットや雑誌やらを小学校低学年くらいから熟読するようなところがあり、親の影響もあるのでしょう。

 

その癖はすっかりおじさんになった今でも続いており、どの車にしようかと頭が一杯になってしまいました。

車のために生きているわけではないのはわかっていますが、あくまで自分の予算に合わせてということにはなりますが、その中でのベストを探し出すのに明け暮れるわけです。

 

車好きが悪いとは思わないのですが、それに日常が支配されることは良くないですね。

予算内でのベストを探すのは、もしかすると多くの人がやることだと思うのですが、支配されるとなると、その予算枠をどんどん大きくしたり、しまいには、車のために何を犠牲にするかまで(表現はちょっと大げさですが)を考えるようになってしまいます。

 

幸いにも、家内がそれを制してくれるので、結果的には身の丈に合ったものを購入したのですが、家内の立場で考えてみると、そういう私は今日のみことばにある「やかましい女」のようであるなと感じました。

 

車は一例です。

他にも、そういう私が支配されるものの心当たりがあるんです。

 

私は今日のみことばで、変えられないといけないと、心から思っています。

ここだったか、という気分です。

 

クリスチャンになった時、あの時に描いていた「美しい生き方」、そういう願望にいつも戻って、毎日以上に頻繁に立ち返っていくことが必要なのだと思います。

なかなか変えられるものではないのはわかっていますが、全ての時間を神様に支配されることを選び取っていくことで、やがて変えられるのだと思います。

思います、というか、そのようなお証をこれまでたくさん聞きましたし、そっちの方が絶対に良いことは、もうわかっています。

 

愚か者から知恵ある者へと、こうして神様は誘導してくださっています。