15 金があり、多くの真珠があっても、知識のくちびるが宝の器。
16 他国人の保証人となるときは、その者の着物を取れ。見知らぬ女のためにも、着物を抵当に取れ。
17 だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。
18 相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。
19 歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。くちびるを開く者とは交わるな。
20 自分の父や母をのろう者、そのともしびは、やみが近づくと消える。
21 初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。
22 「悪に報いてやろう」と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。
23 異なる二種類のおもりは主に忌みきらわれる。欺きのはかりはよくない。
24 人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。
25 軽々しく、聖なるささげ物をすると言い、誓願を立てて後に、それを考え直す者は、わなにかかっている人だ。
26 知恵のある王は悪者どもをふるいにかけ、彼らの上で車輪を引き回す。
27 人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。
28 恵みとまこととは王を守る。彼は恵みによって王位をささえる。
29 若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。
30 打って傷つけるのは悪を洗い落とすため。腹の底まで打ちたたけ。
「悪に報いてやろう」と言ってはならない、主を待ち望め・・・
ソロモンの父、ダビデも詩編で同じ内容のことを歌いました。
生活だけではなく生命を危ぶまれるほどの仲間からの裏切りを経験したことがあります。
実際、ある者の命は失われました。
私はその裏切った者の悪を憤りましたが、このことをよくよく解きほぐして見つめると、それは、私たち全体が悪であったことがわかりました。
私も悪であったということです。
だまし取ったうまいパンを食べていただけ、ですね。
そのパンを横取りされて、持ち去った者は悪で私は被害者であるなんて考えはおかしなことです。
傍から見れば、いわゆる自業自得でしかなく、私が単に間抜けであっただけだと思います。
悪に報いてやろう、と言う激しい思いは私の場合、そういう過程を経て、主を待ち望む姿勢へと変わりました。このことが決め手となり、私はクリスチャンになったと言えます。
悪に悪で報いることは、悪から悪に報いられることと同一なのであり、そういう報いによって反撃の連鎖が起きてしまうということです。
この世で生きる時間は限られていますが、こういう報いの合戦、戦いによって、その時間のほとんどを費やすことになる可能性もあります。それを、時間の無駄と呼ぶのでしょう。
また、私については、「所詮、お前も悪ではないか」というメッセージを感じます。
そういう考え方、という捉え方でも良いかなと思っています。
悪が悪に報いる愚をおかさないように、今日も気をつけていきたいと思います。