欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。
2 高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。
3 直ぐな人の誠実は、その人を導き、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。
4 財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。
5 潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。
6 直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。
7 悪者が死ぬとき、その期待は消えうせ、邪悪な者たちの望みもまた消えうせる。
8 正しい者は苦しみから救い出され、彼に代わって悪者がそれに陥る。
9 神を敬わない者はその口によって隣人を滅ぼそうとするが、正しい者は知識によって彼らを救おうとする。
10 町は、正しい者が栄えると、こおどりし、悪者が滅びると、喜びの声をあげる。
11 直ぐな人の祝福によって、町は高くあげられ、悪者の口によって、滅ぼされる。
12 隣人をさげすむ者は思慮に欠けている。しかし英知のある者は沈黙を守る。
13 歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。しかし真実な心の人は事を秘める。
14 指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。
15 他国人の保証人となる者は苦しみを受け、保証をきらう者は安全だ。
このソロモンが指し示す正しい者姿、悪者の姿というのは、なんとなく想像がつくもので、今の世界でも、雰囲気とか傾向としてあるなあ、と思いました。
私にとって大事なことは、3~5節に記される、二字熟語で表される3点。
誠実、正義、潔白。
箴言以外でも語られるところで、どんな言葉を発するかがその人を決めているようなところ、又は、人がどのような者かが発せられる言葉に現れるという、言葉と人格の表裏性があります。
昨晩もあったことなのですが、どうも私は周囲の状況に合わせて喋る傾向があり、ちょっと調子に乗ってベラベラと言わなくてもよいことを言ったりもしてしまうんです。
そういう発言は、結局自分自身を苦しめているのだな、ということを体感しました。
誠実であるということは、自分を主張して「オレ、オレ」とならずにいること。
正義とは、根本的には神様の正義ですが、誠実さも含めた正しさのこと。
潔白とは、咎められるようなところがなく正直な様、と言いますか、包み隠さないありのままの姿とか表裏がないことにも関連しているものです。
私の課題は、引き続き、ということにもなりますが、つまらない事をベラベラと喋らないこと、その根本として、誠実・正義・潔白を保つようにすること、となりますね。
しかしこれも自分の努力でなんとかなるものではありません。
もちろん努力もするのですが、それらが継続的に実現していけるように聖霊様の満たしを祈ります。