11 わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
12 父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる

13 幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。
14 それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。

15 知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。
16 その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。

17 その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。

18 知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。

19 主は英知をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。
20 深淵はその知識によって張り裂け、雲は露を注ぐ

21 わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな

22 それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。

23 こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。

24 あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい

25 にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな

26 主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。

 

ある知人の”士”業の方は、クリスチャンでもユダヤ教徒でもないのですが、箴言を読むそうです。

それは、仕事がうまくいくために、という目的であるようなことを仰っていたのですが、確かに、今日のみことばからは、長寿と富という、神様を信じていなくてもわかりやすい利益については言及されています。

 

しかし、世界覇権国家の王であり、長寿も富も握ったソロモンがそれを結果的に得ることが出来たのは文脈からすると、神様への恐れ、罪を回避すること、そして今日はその神様からの懲らしめをないがしろにしないこと叱責をいやがるなとありますから、そういう神様との関係性こそが大事なのだということです。

 

つまり、神様を信じることが大前提となっているもので、これをいわゆるHow to本として読むことって、難しいけどなあと思いました。

 

さて、今日もソロモンがしきりに勧めるのは、知恵深くあることです。

ただし、その知恵の本質は、ただ本をよく読むとか、知的に振る舞うとか、そういうことではなく、神様こそ知恵の極みで到達点だと言っていることがわかります。

知恵、英知によって「地の基を定め、天を堅く立てられた」とある通りです。

 

天地創造は、全て神様のことばによって成されました。新約聖書の冒頭に「ことばは神であった」とある通りです。

正直、このことをいくら本を読んでも知的に振る舞っても理解出来ません。私もこのことをうまく文章化することは難儀ですね。

神様を信じない人は「聖書がおかしい」と言うかも知れません。

しかし、時の覇権国家の王ソロモンは「知恵」と表していると思いました。

 

この知恵は、人が持つものとしては、信仰と意訳出来なくもないのですがどうでしょうか。

 

今、私にふりかかる困難は、すぐに思いつくだけでも2つあります。

一つは命に関わるもの、もう一つは仕事に関わるものです。

これらを信仰、ソロモン流に言うと知恵から引き離して考えてしまうことがあります。

それは、自分が蒔いた種だから、とか、罪の刈り取りだから、とか、そういう自業自得の範疇で処理してしまうからです。

 

しかし、一方ではそこからの救いを祈ります。

これぞ神頼みなのですが、今日のみことばからは、別の視点が与えられました。

それは、神様からの懲らしめと叱責、というものです。

 

だとすれば、私はやはり救いを祈り続けるべきですが、少なくともこれら困難は、私にとって悪い方向へと誘うようなものではないように思えていきます。

神様は愛しているからこそ困難にあわせ、叱るのだとありますから。

そして、恐怖におびえるな、悪者どもが襲いかかっても恐れるな、神様がそばにおられるから。

 

言葉のパズルみたいなことをしているようで、やや大丈夫かなこんなんで、と思ってしまいますが、そういう解釈とかメッセージみたいなものが、ワッと入ってきました。

 

知恵とは信仰であり、信仰とは知恵であり、知恵は神様であり神様は知恵であると。

それをしっかりと抱くことが大事ということです。それは、長生きにも金持ちにも通じる、と。