18 私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。

19 また、もっと祈ってくださるよう特にお願いします。それだけ、私があなたがたのところに早く帰れるようになるからです。

20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、
21 イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

22 兄弟たち。このような勧めのことばを受けてください。私はただ手短に書きました。

23 私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼といっしょにあなたがたに会えるでしょう。

24 すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。

25 恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

 

ヘブル人への手紙を書いたのは、やはりパウロなのかなと思いました。

 

それはさておき、この手紙を書いた人は、イエス様を伝えていくという弟子にありながら、やはり人として、霊とか思考と、実際に起こす行動には溝があることを覚えていたのだなと思いました。

それが一致するように、もっと祈ってくれと書いています。

 

もっと祈るというのは、執拗に祈るということであり、その継続性と、神様からの応答を期待しているのでしょう。

 

もっと祈る。今日はこのみことばが刺さってきます。

 

先日、長時間の移動があったので、YouTubeである牧師さんのメッセージを聞いていたのですが、その中で、祈り方についての言及がありました。

 

「あれこれの願い事について神様に打ち明けて求めるのではなく、神様が喜ばれる祈りを心がけて続けていると、大きな祝福を受けた経験があるんだ」とのことでした。

 

神様が喜ばれる祈りとは何か。その詳細ははっきりとわかりませんでしたが、やはり感謝なのだろうと思います。

今日のみことばからの適用とあわせると、もっと執拗に感謝の祈りをすること、となります。

 

ダビデはその賛美であり祈りである詩編にて、多くの感謝を神に捧げました。

数えてみよ主のめぐみを。まさにこれがモデルになりそうです。

 

新約聖書の中でも、ヘブル人への手紙は苦手な書簡でした。

何か言葉の難しさを感じていたのですが、こうしてQTで深く読んでみると、大変に信仰成長の助けになるもので、まさにめぐみ深く、感謝そのものでした。