9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした

10 私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。

11 動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。

12 ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。

13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

16 善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

 

食べ物に心を奪われたと言えば、ヤコブの兄エサウがまさにそれですが、私は彼の犯した過ちを犯し得る者だと思っています。

 

というのは、永遠のいのちという神様からのめぐみを頂戴することにフォーカスし過ぎると、まだ自分が神様に対してちょっと離れていても、いずれこの体の死期が迫ればまた自然と神様を頼るようになるだろう、的な打算がどこかにあるからです。

 

エサウがどのような考えで、父イサクからの長子として継承権を食べ物と引き換えにヤコブに譲ったのかははっきりとはわかりません。

しかし、ヤコブの権威を継承することの重大さを理解せず、食べ物などの欲にのみ焦点が当たるような生活をしていたことは確かで、まさに神様から離れていたわけです。

 

やがて何年も経ってから、父イサクがこの世での生涯を終えよるという間際、ヤコブはこだわり続けた祝福であるイサクからの跡継ぎとしての継承権を確保します。一方、エサウはどうして自分が祝福(継承権)を与えてくれないのかと嘆きますが、時遅しです。

 

一事が万事と言う言葉がありますが、まさに今こそが重要な時であると思います。

死後の世界としての永遠のいのちではなく、永遠のいのちを持った者として生きる人生を、今から、今日から手に入れることが大事なのだと言われているのだと思います。

 

もう一つ、仕事上で大きなヒントが与えれていると思いました。

今、私は外部の血を会社に入れようとしています。

それは、会社経営をなんとかしたいという思いからで、普通のことだと思います。

 

ところがある役員は、そのようなことをすることで、現状のプロパーが嫌な思いをして辞めてしまうのではないか、と考えているようです。

彼は、一応私よる上役にあたります。

 

私の意見としては、だったら違う経営改善策を用意してくれよ、これまでさんざん自分たちでやってだめだったから外に託すんだよ、という思いがあります。

しかし一方で、外から入れたら成功するとは限らない、とも思っています。

要は、ギャンブルなわけです。

 

その辺で、私自身にも、会社経営にも葛藤があったのですが、判断はその上役にまかせようと思います。

 

まあ、私のようなゲリラに偉そうにされて、そもそも気分が悪いと思っているのかも知れないですし、それを言えば、社長もまた然り。

みことばからの教えとして、上に委ねる、気持ちよく仕事をしてもらう、そこに重きを置こうと思います。