1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
5 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」
6 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
7 また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、
8 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
9 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」
10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
13 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座についていなさい。」
14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありません。
ヘブル人への手紙をQTで熟読するのは初めてです。
やや難しい内容の書簡と言えますから、これをどう適用していくのかはチャレンジングになってくると思います。
ヘブル人ということはユダヤ人に対してのパウロからの(?)手紙ということになりますが、どのようなヘブル人かと言うと、それは当然、イエス様を受け入れて信じたユダヤ人です。
彼らは、当時の律法主義のユダヤ人、ユダヤ教社会の中で、異質な存在とされていたわけですが、そのことは、日本の社会で、ただ単に冠婚葬祭の手段とかお家の宗教としての選択ではなく、聖書に出てくる神こそが唯一の神であり、ここに書かれている事柄が全て事実であるとするクリスチャン、として生きることと、なんだか似ている気がするのです。
そういう意味では、このヘブル人への手紙は私自身への手紙である気がしてなりません。
1章に書かれていることは、神への賛美に聞こえなくもないですが、その主たる内容は、神が絶対的な存在で依存するものなどは無いという、神と神以外のものとの”差”を歴然とさせるもののように思えました。
一匹狼で誰にも頼ることなく生きている、と自負する人でも、生命の維持については空気・水・食物に依存しています。
人は無依存で存在することは出来ないということです。
しかし神は、何物にも依存せずに存在されます。全てが滅びても神はおられます。
そのことをまずパウロは語りました。
その中でも重要なことは、イエス様の存在です。
よく誤感覚に陥ってしまいがちなのが、神とイエス様の対比です。
というのは、こちらにもあるように、聖書でイエス様は「御子」と表現されることが多いのですが、一般的な語意から解釈して、じゃあイエス様は神の子なのであって、イエス様の上に神がおられるというような錯覚に陥ってしまいます。
これは今も昔も同じだったのでしょうか、パウロは、神とイエス様はそのような一種の従属関係にあるのではなく、「対等」どころか「同一」であるとここで主張します。
イエス様は神の栄光に照らされて輝いているのではなく、輝きそのものであること、神を代弁・預言したりするのではなく「完全な現れ」と言うのです。
これは、イエス様こそ神である、と言っているのです。
私は最近、仕事関連でたまたま目にした学術論文に、数十億年前のこととした進化系の歴史仮説を読む機会がありました。
このようなものは、ネット上には溢れかえっており、聖書を歴史的事実とする私には、とても苛立つ存在であったりもします。
しかし、私はこの神でありイエス様が、この世の全てを創造されたことを信じる者であって、科学的な装いで、特殊な定義による経過年数の仮説を利用して立てられる仮説は信じません。
創造者は創造の意図を持っている者です。
私には、神による創造の意図があり、偶然この世にやってきた無意味な者ではないことを、あらためて心に覚えます。